つやだしのレモン

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ナ・ホンジン『コクソン』 パズル映画の消化不良

 いろんな要素がごたまぜにされて、よくわからない映画。映像はところどころインパクトがあるし、ホラーとして引きつけるところもあるんだけれど、物語としては尻すぼみなので、いまいち充実感がないままに見終わった。

 この映画をどう「解釈」すればいいか、ネットを見るといろいろ解説しているサイトがある。いわく、謎の日本人=キリスト、主人公=キリストを迫害する人で、キリスト教の迫害を現代世界に写し取っているのだ、みたいな解釈があるようだが、そういうパズル映画だとしたら、自分の求めているものではなかった。

 やれ、象徴をよみとれとか、隠された意味をさぐれ、みたいな、作者がこめた意図を解読してねというタイプの映画がある。その典型は『複製された男』というクソ映画。「一見すると意味不明なように見えて、実は深い意味が…」という映画って、パズルを解かされているようで、好きになれない。当たり前だけど、そういう映画よりも、「製作者が伝えたいことをしっかり映画内で表現できている」映画のほうが優れていると思うので。

 映画に限らず、フィクションすべてに言えることだが、「この人物の名前には、実はこんな隠れた意味があるんですよ!」「この物語のプロットは、実は古い神話がモチーフになっているんですよ!」というようなギミックって、あくまで細部のこだわりの階層であるべきであって、それをメインにすべきではないんじゃないの。カレーライスの専門店が「福神漬にこだわってます」とアピールしているような感じ。求めているのはそこじゃないんだ。

 映画として十分に楽しめて、なおかつ細部にいろんなギミックが凝らされていると、すごいこだわりだな、と思うし、その作品とクリエイターを愛でたくなる気持ちになる。でも、映画として不十分な満足しか与えていなくて、「深い意味はそっちで読み取ってね」というスタンスの作品は、パズルを解かされているのと一緒で、つまらないことをさせられている気分になる。

 もっと映画として完成させてほしい。映画を観ているときに楽しませてほしい。消化不良な映画を観終わったあとに、その消化不良感を解消したいがためにいろんな解釈をひねり出さないといけないような映画にはうんざりだ。