つやだしのレモン

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パク・チャヌク『親切なクムジャさん』 圧倒的センス

 

親切なクムジャさん(字幕版)
 

 パク・チャヌク監督『親切なクムジャさん』の感想・レビュー。ネタバレあり。

 以下は予告編。

 

 

 

・画面にみなぎる緊張感とリアリティ

 映像の美しさ。ポン・ジュノ映画にも通じる圧倒的センス。

 ゆったりと時が流れる場面と、緊張感みなぎる場面とをうまく組み合わせていて、観ていて飽きない。冒頭から一気に画面に引きつけられる。

 特に好きな場面は、妊娠したクムジャが、水族館の中にある公衆電話で先生に電話するところ。素晴らしいリアリティだし、巧い。

 他にも、工場のおっさんが銃を構える場面で、そのおっさんの腕に、銃を握る腕の入れ墨が彫ってあるところ。こんな細かいところにも映像的な楽しみを潜ませるのは感動する。

 

・年齢を感じさせないイ・ヨンエ

 この映画を撮ったとき、主演のイ・ヨンエは34歳。演じるクムジャの年齢とほぼ一緒。

 だが、イ・ヨンエは作中で学生時代のクムジャも演じていて、その姿が本当に学生に見える。透き通るような肌が年齢を感じさせない。

 この他にもイ・ヨンエはいろんな役柄を演じている。誘拐で逮捕される20歳の女役、刑務所の模範囚役、罠をはって厄介な女囚を殺す狡猾な女役、赤いアイシャドウをつけた水商売風の女役など。いろんなイ・ヨンエを楽しむ映画。

 

・後半のやりすぎ感

 イ・ヨンエの存在感、映像のセンスの2つは素晴らしい。けど、物語としては正直なところイマイチ。前半はいいけど、ラスト付近はやりすぎというか、凝りすぎていると思った。

 これは同じ監督の『オールド・ボーイ』にも感じたこと。復讐するまでの過程はすごく面白くて見入るんだけれど、いざ復讐を実行する段になると、そこにひねりが加えられている。そのひねり具合がちょうどよければ問題ないのだが、この監督の場合、そのひねりが強いというか、そこまでひねりますかというところまでひねってくるので、それまでの悲劇のトーンが下がって、少しコメディっぽくなる。

 本作でいうと、最後、ペクを監禁したあと、ペクの被害児童らの遺族を集めて、全員でペクに復讐するという部分。「遺族が集まって、ドロドロした感情をぶつけ合う」場面のエグみを見せたいという監督の意図は分かるのだが、そんなにひねった筋書きにしなくてもよいのに、と思ってしまう。

 これだけ話をひねってくると、「なんでペクは子どもを何人も誘拐して殺し、その場面をビデオで撮っていたのだろう」とか、「これだけの遺族をどうやって集めたのだろう」とか、「遺族が議論している音声をペクに聞かせるために、クムジャはわざわざマイクとかを教室に仕込んでいたんだろうか」とかを考えてしまう。画面に集中したいのに、他のことに気がいってしまうのだ。そうなると、そこまで積み上げてきた悲劇のムードが崩れて、ちょっとコミカルになり、喜劇の音が聞こえてくる。

 こういうとき私は、「あまりよく知らない人のお葬式に出ている」ときの気分になる。本来なら故人を悼まないといけないんだけど、そんなに親しい人ではなかったのであまり悲しい気持ちになれない。むしろ、お坊さんがお経を読む声がちょっと高いとか、親戚のおじさんのワイシャツがヨレヨレであることが気になって、妙に笑えてしまう。悲しい気分にならないといけないのに、なぜか笑いどころを探してしまう。この映画の後半は、まさにそんな感じなのだ。

 さらに問題なのは、遺族を出したことで、クムジャの存在感が薄れてしまったこと。そこまではクムジャの映画だったのに、最後だけ遺族が前に出てくるので、相対的にクムジャの役割が弱くなる。本当ならいちばんその姿がクローズアップされるべきところで、逆に光が当たらなくなる。そこが本作の最大の不満。

 

 でも、仮に、後半のひねりをなしにして、普通にクムジャがペクを撃ち殺していたらどうだったか。それを観て、満足した気になるだろうか、と考えてみると、ならないような気もする。「前半はおもしろかったけど、後半はひねりがなくて普通だった」みたいな感想を書く気もする。

 結局、これは復讐映画の着地の難しさに行きつくのだろうと思う。復讐をテーマにする場合、物語の着地点は「復讐をするかいなか」になるので、そこでどうしても工夫をしないといけなくなる。復讐が映画のピークになるので、そこまで盛り上げていくのは結構自由にできるけど、ピークのところでどうするかは選択肢が少なくて難しい。普通に復讐をする展開にすると、「なんだ、ただ復讐しただけじゃん」になるし、復讐ができない展開にすると、「なんだ、復讐できないんかい」になる。着地点が見えてしまっているだけに、普通の着地では観ている人が納得しないのだ。

 だから、監督もいろいろ考えて、こういうひねった展開を選んだんだろうと推測する。復讐映画を3部作で撮っている監督なのだから、最後は少しひねらないと、という思惑もあっただろう。

 でも私は、この映画はイ・ヨンエの存在感を味わう映画であり、だからこそ、最後までクムジャの映画であるべきだったと思う。クムジャが普通にペクを撃ち殺す展開になっていたら、クムジャはどういう顔をしてその後の人生を生きるのだろうか。私はもっとクムジャが観たかった。