つやだしのレモン

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『カリブ諸島の手がかり』 ジャンルを超越する快感

カリブ諸島の手がかり (河出文庫)

カリブ諸島の手がかり (河出文庫)

 

 
推理小説というよりは、雰囲気を楽しむ小説

 カリブ諸島の雰囲気を楽しむ小説。

 読後感は『半七捕物帳』と近い。あれも推理小説と銘打たれているけど、実際は江戸時代の雰囲気を楽しむ風俗小説である。

 ただ、「ベナレスへの道」だけは、ちょっと他の物語とは違う。

 

・人種のステレオタイプ

 末尾の解説にも書かれているが、人種のステレオタイプがかなり強く出ていて、今読むと時代遅れに感じる箇所が多い。1929年の本というのを差し引いても、ちょっとその臭いがきつすぎて、読んでいてけっこう困った。

 

・「ベナレスへの道」が白眉

 そんな本を我慢して読んだのは、「ベナレスへの道」の評判を聞いていたから。推理小説の世界でも屈指の問題作といわれているらしいので、いったいどんなもんなのか楽しみにして最後まで読んだ。

 読後の感想としては、その期待に応える内容を持っていた。読み終わったあとにゾクリとする感覚。本を読む経験を重ねると、こういう感覚とはなかなか出会えなくなって、すでに知っていることの再確認か、知っていることの変奏を聞くことが多くなるけど、これはちょっと予想外だった。

 以下、ネタバレ。

 

 

 「ベナレスへの道」の舞台は、カリブ諸島の一つトリニダード・トバゴ。この小説が書かれた時点ではイギリスの植民地であり、同じくイギリスの植民地であるインドからの移民が多かったらしい。

 主人公は、そんなトリニダード・トバゴに旅行にきていた中年男性で、名をポジオリという。アメリカの大学で心理学を教えている教授で、当時は心理学は「人間の心理を自在に解き明かす学」と思われていたので、ことあるごとに犯罪事件の捜査に駆り出されることになる。本書には5つの短編が収録されているが、すべて主人公はポジオリで、彼が探偵役として、事件の解決に貢献する。

 トリニダード・トバゴのとあるヒンドゥー教寺院で、結婚式が行われる。結婚したのは中年の商人と、まだ10代半ばの少女。2人ともインド系で、結婚をお膳立てしたのは、新郎の伯父であるヒーラ・ダースという富豪である。

 結婚の翌日、まだ幼い新婦は、寺院で首を切られて殺されている状態で発見される。インド系の移民の間では、夫が妻を殺す事件が過去にも多く起こっていたため、嫌疑は新郎に向かう。しかし、新郎は結婚当日には寺院には泊まっておらず、確実なアリバイがあった。

 すると、疑いの矛先は主人公のポジオリに向かう。ポジオリは事件当日、ホテルに予約し宿泊していたが、昼間に見た寺院での結婚式に物珍しさを感じ、その夜にホテルを抜け出して僧院に泊まっていた。彼のその行動は現地の警察には不可解に映り、ポジオリは逮捕され、監獄に入れられる。

 獄中で、ポジオリは推理する。彼は僧院に泊まったとき、悪夢を見た。不可思議な夢で、自分がヒンドゥーの神と一体化するような感覚があった。この獄中でも、彼は同じような夢を見る。自分が神と混ざり合い、一つになるような感覚。獄中という危機的な環境と、神との一体化という理性の及ばぬ境地とが合わさって、ポジオリは一つの結論に達する。それは論理に導かれたのではなく、真実への飛躍である。

 その結論とは次の通り。犯人は新郎の伯父であるヒーラ・ダース。彼は大富豪だが、富を築く過程で青春を犠牲にしたことをずっと後悔していた。もう一度、生まれ変わることができたなら、富を追いかけるのではなく、青春時代を謳歌することを望んでいた。ヒーラ・ダースの欲求は募り、ついには本当に輪廻転生を実現しようとまで思う。けれども、自殺ではその願望は成就しない。彼は自殺以外の方法で死ぬ必要があった。

 そこで彼は、まだ幼き新婦の首を切断して殺害した。寺院でのこの殺人により、自分が処刑されることを確信していたからである。さらに、ヒーラ・ダースが新婦を殺害したのには、もう一つ理由があった。生まれ変わった世界で、彼の青春の伴侶となる女性が必要であり、その女性として、彼は若き新婦を選んだのである。

 こうして、ヒーラ・ダースは、生まれ変わるために死ぬことと、生まれ変わった後の伴侶を手に入れることを、同時に成し遂げたのた。

 この結論に、超自然的な力で達したポジオリは、真相を告げるために、独房の外にいる看守を呼ぶ。看守に、事件の犯人を告げると、「すでにヒーラ・ダースは自首していて、近々処刑されることが決まっている」と返される。

 ではなぜ、犯人ではない自分はいまだに監禁されているのかとポジオリは詰め寄る。すると看守が答える。「あまりに申し訳なかったので、言うに言えなかったのです。すでにあなたには死刑が宣告されて、とっくに処刑されていたのですから」。

 

 

 なんかこのようにあらすじを書いてしまうと、いかにも安っぽい、キテレツな展開を求めて突っ走った小説のように思われるかもしれないけど、実際に読んでいると、宗教的な雰囲気がよく書かれているので、この結末までの流れはかなり自然。すんなり読める。だからこそ、最後のジャンルを超越するような語りに衝撃を受ける。

 ただ、この筋書きを見れば分かるように、ここにも、人種のステレオタイプが潜んでいる。「インド人の世界ってこうなんですよ」という作者の押し付けが感じられて醒める。これは「インド人」「ヒンドゥー教」という、日本人にとってもあまり縁のない世界のことなので、それっぽく読めてしまうけど、でもこの「インド人」「ヒンドゥー教」は簡単に「日本人」「仏教/神道」にとって換えることができると思うと、首をひねらざるをえない。

 その意味では、完全に時代遅れの小説。ただ、筆の運びや、ジャンルを飛び越える快感にはグッとくる。特に本作は、シリーズものの短編集の末尾の一作ということで、それまでの4編でせっかく積み上げてきた物語の筋道や人物設定を、最後の最後ですべてひっくり返す。現実ではできないこういう跳躍こそが、まさに読書の醍醐味。