つやだしのレモン

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アイリッシュ『幻の女』 幻の都市の雰囲気

 ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』の感想。ネタバレあり。

幻の女〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

幻の女〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

・物語の作りは粗め

 サスペンスもの。冤罪で死刑を宣告された男スコットのために、真犯人を見つけるという筋書き。ただ作りは粗い。

 例えば冒頭、主人公が帰宅すると、刑事たちが部屋で待ち構えているけど、刑事たちは妻が殺されたことをどうやって知ったのか?

 また、真犯人はスコットの親友であるロンバートで、彼は「幻の女」の目撃者すべてを脅迫してその口を封じるのだけれど、一夜ですべての目撃者を探し出して脅迫するというのは非現実的。さらに、ロンバートはスコットの頼みを受ける形で新たな目撃者探しをするけど、その目撃者を殺す前に、わざわざ刑事を電話で呼んでいるのが謎。

 一番ずっこけるのは、「幻の女」が、事件後に精神に変調をきたして精神病院に収監されていました、というオチ。なんじゃそりゃ。

 

・「幻の都市」の雰囲気

 上で物語の粗さを指摘したけれど、アイリッシュの代名詞は叙情性。詩的な文章と劇的な構成が持ち味。なので、細部の粗は気にしてはいけない。

 この本の刊行は1942年で、当時はこういったエンタメ小説は読み捨てられる消費財。空き時間に読んで楽しめればそれで良しというものだったので、アイリッシュも細かい辻褄は気にしなかったのだろう。

 アイリッシュ作品はかなり読んでいるけど、粗を探せばキリがない。でも読んでしまうのは、戦前のニューヨークの雰囲気を味わえるような気がするから(あくまで「気がする」だけ)。実際のニューヨークがどうだったのかは知らないけれど、その小説を読むと、1920〜30年代の、高層ビルが次々に建てられていた華やかなニューヨークの中に身を浸すような感覚になる。

 といっても、実際のニューヨークはアイリッシュが描くような華やかな都市ではなかったろうし、アイリッシュは町の一風景を小説に似つかわしいように切り取っているのだろう。だから、アイリッシュの小説の中のニューヨークは幻想で、この小説のタイトル風にいえば「幻の都市」である。でもその幻の都市に住む孤独な人間たちの生きる様子が愛おしいし、ぐっとくる。

 

・しゃれた文章

 文章はしゃれていて、ときにカッコつけすぎにも感じる。でも次の文章などを読むと、鋭い人間観察の眼をもつ作家ということが分かる。引用は稲葉明雄訳より。

私室に入ると、正面の大きなデスクの向うに、肉づきがよくて、髪の赤い、中年のアイルランド女が腰をおろしていた。服飾デザイナーといった小粋な感じはどこにもなく、むしろどちらかというと、でっぷりした、だらしない印象のほうがつよかった。おそらく以前はキティ・ショウといった本名で、どこか裏街の安アパートにくすぶっていたのだろう。見たところ充分信用のおけそうな女だと、彼は察した。金儲けにかけては、たぶん魔法使いなみの手腕をもっていたにちがいない。ただ、それが身のほどしらずな成功だったため、このような不体裁なかっこうを人前にさらしているのだろう。第一印象としては、とても好感がもてた。

 

 死刑宣告前のスコットの語りもいい。以下、全文を引用。

「ぼくひとりだけが犯罪をおかさなかったと知っていても、みんなで口を揃えておまえがやったんだと言われて、ぼくになにを申し上げることがあるでしょう? それとも、ぼくの主張を聞いて、ぼくを信じてくれるような人が、どこかにいるんでしょうか。
 あなたはこれから、ぼくに死ななければならないと言おうとしています。あなたからそう言われれば、ぼくは死ななくてはなりません。ぼくは人並みに死を恐れていないつもりです。けれどもまた、同様に、死を恐れる気持も人並みにもっています。死ぬことはけっして楽ではありません、が、誤審のために死ぬのは、いっそう苦しいことです。ぼくは、自分が犯した罪のためではなく、誤った裁きのために死ぬことになるのです。およそ死と名のつくもののなかで、これほど苛酷な死はないでしょう。ですが、最後の時がきたら、ぼくは立派にそれを受けとめるつもりです。いずれにしろ、ぼくにできるのは、それだけなんですから。
 しかし、今こそぼくは、ぼくの言葉にまったく耳をかさず、ぼくの言葉を信じてくれなかったすべての方々に、はっきりと言っておきます。ぼくがやったのではありません。ぼくはやらなかったのです。どんな陪審によるどんな評決も、どこの法廷におけるどのような審理も、どこの電気椅子の上のどんな処刑も――たとえ世界中のどこへ行っても――やらなかったことを、やったとすることはできないのです。
 さて、裁判長閣下、ぼくにはもう判決をきく用意ができています。なんの心残りもありません」

 作家の筆が走りに走っているのが読んでいて伝わる。最高の場面なので、アイリッシュとしても力を入れて書いたのだろう。ぐっと身が引き締まるような気がする名文。