つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

ポール・ウィリアムズ『フィリップ・K・ディックの世界』 ディックは病気

フィリップ・K・ディックの世界

フィリップ・K・ディックの世界

 


・自宅侵入事件を中心にしたインタビュー集

 1971年にディックは自宅の強盗被害に遭う。このインタビュー集はその自宅侵入事件が主なテーマ。ディックが、いったい誰が犯人なのかいろいろ推理する。

 このインタビューを読む限り、ディックは明らかに病気である。被害妄想が激しく、話している内容がどんどん飛躍する。本当にどうだったのかは分からないけれども、このインタビューを受けていたときのディックは明白に精神病を患っている。

 このインタビューが行われたのは1974年。自宅侵入事件の3年後であり、ディックは46歳である。2年前の1972年にディックは自殺未遂をしており、そのあとに薬物治療施設に入所している。1950〜60年代のディックは狂ったように小説を濫造していたが、1970年代になると急激に生産能力が落ち、作品の数が一気に少なくなる。その時期にはおそらく、精神的にも肉体的にも苦しい時代であったのだろう。

 そうした「苦しさ」は、当時の作品にも表れている。1974年刊行の『流れよわが涙、と警官は言った』と1977年刊行の『スキャナー・ダークリー』には、それまでの長編にはなかった憂鬱さがある。特に『スキャナー・ダークリー』は、ディックの実体験が多数盛り込まれていて、ドラッグによって精神が蝕まれていく様子が克明に描かれる傑作である。

 ただ、1970年代に、ディックが「おかしくなった」と言うのは正確ではない。ディックはもともとおかしい人間であり、1970年代になってそれがより顕著になった、というのが正しいと思う。おかしくなければ、5回結婚してそのすべてで離婚するなんてことはしないし、自分の名声を犠牲にしてまでも作品を粗製乱造したりはしない。彼の元妻たちの発言を聞いても、彼は「魅力のある人間」だが、しかし「一緒に暮らすのには耐えられない人間」だという。ディックは「破綻」を抱えて生きている人間だった。

 このインタビューは、そうしたディックの破綻を現に垣間見ることができる。自宅侵入事件について語る彼の言葉は偏執狂的で、彼の後期の作品(『ヴァリス』『聖なる侵入』など)にもつながるような神秘性がある。ディックはもともと夢見がちな作家という感じだったが、薬物の乱用や自殺未遂などを経て、その夢を現実と混同するようになったのではないか。後期の作品に見られる神学まがいの何かも、夢と現実とをついに区別できなくなったことに由来しているように思える。