つやだしのレモン

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島尾敏雄『死の棘』 読書体験そのものが泥沼

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

 

 

・泥沼のごとき小説

作者の実体験をもとにした私小説。トシオの不倫がきっかけで妻のミホは精神のバランスを崩し、家庭が崩壊していく様子を描く。

 とにかく、しんどい。統合失調症のような症状を発症した妻との生活の話なので、物語そのものがしんどいのは当然なのだが、書き方にも問題がある。作者は起こった出来事をすべて書こうとしているので、話の展開がとてつもなく遅い。とにかく無駄が多いのだ。

 しかも表現がまどろっこしく、比喩を多用して詩的に仕上げようとしているのでイライラしてしまう。小説家だから詩的な表現を使いたいんだろうけど、そういう作為性は私小説とは根本的に合わない。生活の現実を描写する言葉が宙を浮いているので、そこだけ思案してひねりだしたような不自然さをまとう。物語の内容は真に迫るもののはずなのに、それを写し取る言葉に生々しさがないので、どうにも話に乗っていけない。

 それでも300ページくらいまではなんとか読み進めたのだが、これがあと300ページも続くかと思うと辛くなり、残りはパラパラとめくり読みをして読了。不思議なことに、めくり読みでも会話さえ拾っていけば話の内容はだいたい理解できた。それだけ無駄が多いということ。

 

・この小説を読むことこそが地獄

 錯乱した妻との生活の様子はまさに地獄だが、この小説を読む体験そのものが地獄なんではないかと思えてくる。同じような内容の反復、物語と噛み合わない表現、遅々として進まぬ物語、そうした泥沼のような内容の小説を読むことそのものが、トシオとミホの地獄の生活を追体験することなのだろう。

 だから小説としてのまどろっこしさも、作者の意図するところなのかもしれない。死ぬよりも過酷な生活をひとかけらでも読者に味あわせようとする作者のたくらみだとしたら、凄まじい実験小説である。