宮本常一『イザベラ・バードの旅』 地方に住む人々の話
イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む (講談社学術文庫)
- 作者: 宮本常一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/04/11
- メディア: 文庫
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イギリスの女性イザベラ・バードは、1878年に日本を訪れ、その顛末を『日本奥地紀行』に記した。本書は、そのバードの著書をを手がかりに、宮本常一が地方に生きる人々の様子を語る講義録である。
イザベラ・バードの旅は、東京から始まり、日光・新潟を経由して、最終的には北海道へと至る。伊藤という名前の通訳一人を従えての長い旅だった。その旅に寄り添うようにして、宮本常一が昔の日本の風景について論を展開していく。
『イザベラ・バードの旅――『日本奥地紀行』を読む』という題名からすると、バードの『日本奥地紀行』の解説本のように見える。だが実際には、『日本奥地紀行』を一つの手がかりとして、宮本常一が「地方に住む人々」の姿を縦横無尽に語っている、というのがその内容に近い。宮本常一の豊富な調査経験がよく表れた本だし、講義録だけあって非常に読みやすい。
以下、印象に残った箇所をスクラップ。
・「浅間山」は富士山のこと(p. 16)
昔は富士山のことを一般に「せんげんさま」と言っていた。その影響で、関東平野には「浅間山」という名前の山がたくさんある。
・昔の日本は蚤がものすごくいた(p. 47)
昔の日本では蚤に食われるのは当たり前のことだった。「ねぶた」(ねぷた)祭りはもともと「ねぶた流し」が始まりで、夏の夜は蚤に食われてなかなか眠れないので、その眠気を流してしまおうという催し。
長らく日本人を悩ました蚤だが、戦後に殺虫剤DDT普及により一気に姿を消した。
・スリの話(p. 60)
向井潤吉(1901-1995)という画家の子どものときの話。京都に住んでいたとき、旅をしたいと思って家出をした。名古屋あたりで一人の男と仲良くなった。男は「実は俺はスリなのだ」と言う。向井さんは自分のお金をとられると思って警戒するが、男は「俺だってお前のお金をとろうとは思わない。それでも心配なら、マッチ箱に札をたたんで入れて枕元に置いておきなさい。それはスリでもとらないから」と言ったという。実際にそうしたらお金はとられなかった。スリの世界にも不思議な道徳があったという話。
・田舎の人たちは不潔だった(p. 87)
田舎の人たちは着物をめったに選択しなかった。繊維が弱く、破れやすかったため。また、着物の数も少なく、いつも同じものを着ていることが多かったので、不潔な状態が多く、それが元で病気になることもあったという。
・流れ灌頂(p. 122)
昔は、妊娠中もしくは出産中に死ぬ女性が多かった。そうした女性を悼むために、「流れ灌頂」という供養をした。水辺に4本の棒を立てて、その上に布をしき、道行く人に柄杓で水をかけてもらう。布が破れたり、布の色が消えるまで水をかけないと、女性は極楽にいけないとされる。子どもを抱えたまま死ぬとなかなか極楽にいけないという言い伝えによる。宮本常一が日本を旅していたときにも、流れ灌頂をよく見かけたという。
・性病と盲(p. 163)
江戸中期頃から、性病がもとで盲になる人が増えた。淋菌が目に入ると、盲になることが多い。売春婦や、その子が盲になった。東北のある漁村で、盲の人間が多い場所があったが、それは性病が原因。