つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

市橋達也『逮捕されるまで』 強烈な自己愛

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録

 

 

 市橋達也の手記。市橋はリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の犯人であり、2009年11月10日に逮捕され、2012年4月に無期懲役が確定し、収監されている。

 いまさらこれを読んだのは、市橋達也が逃走中に自らの手で整形手術を行ったこと、大阪の飯場で働き、稼いだ金で沖縄の島に滞在する生活を繰り返していたこと、ディズニーランドに一度行っていることなどをインターネットで知ったため。自分で整形をしたという事実からは「絶対に捕まりたくない」という覚悟を感じるが、それはディズニーランドへ行くという行動と矛盾する。どういう人間なのか興味が湧いたので読んでみた。

 

・「手記」としての真実味

 ところどころに直筆の絵があるのだが、その描写がかなり細かい。工事の作業過程をメモつきで詳しく描いている。

 こういった本はどれだけ本人が書いたのか疑わしいものが多いが、この絵を見る限りでは、市橋達也本人がかなりの程度、この本に関わっていることが分かる。少なくとも、ゴーストライターが書いたデタラメの本でない。

 

・逃げ切ってみせるという自信

 逃走中に、市橋達也はなぜか英語の学習をしている。『ライ麦畑でつかまえて』や『ハリーポッター』の原書を買って読んだり、TOEICTOEFLの単語集のリスニング音声を聞いたり、DVDプレイヤーで映画を英語字幕で見たりしている。

 こうした学習行為は、未来への希望が少しでもないとできないはず。単に暇つぶしがしたいのであれば、英語学習以外のことを選ぶだろう。市橋達也は「逃げ切れる」という自信があったに違いない。

 逃げ切るということが彼にとっての希望で、だから細心の注意を払っている。自分で整形するのもそうだし、警察の気配を感じたら住処を捨ててすぐに逃げるのもそうだ。

 英語学習は被害者のリンゼイさんとつながりが深い。市橋達也が本当にリンゼイさん殺害を後悔しているなら、英語学習を続けようとは思わないだろう。にもかかわらず逃走中に英語を熱心に学んでいるあたり、普通の人間ではないことが分かる。

 

・強烈な自己愛

 市橋は逃走中の多くの時期で、大阪の飯場で肉体労働をして過ごしていたが、そこで同僚と喧嘩をする場面がある。その喧嘩は事務所の人の仲裁が入って止められ、あとで相手に謝罪することになった。でもそのあと、「悔しくなって涙が止まらなかった」、という記述がある。喧嘩をして謝ったくらいで泣くというところに、プライドの高さが表れている。

 そして市橋達也は、「自分が他人にどう見られているのか」を異常なほどに気にしている。彼は自分が新聞やテレビでどう報道されているのかを細かくチェックしていて、ときにはコンビニのデタラメな内容の本も読んでいる。たしかに、逃走を続けていくうえで自分の情報が世間にどれだけ流れているかを調べるのは重要なのかもしれない。だが、わざわざコンビニの駄本にまで目を通す必要はないはず。また、彼はテレビで自分について芸能人がどんな発言をしたかをよく覚えていて、ビートたけしテリー伊藤が言及したセリフを手記に記してもいる。捜査情報とは別の部分で、「自分が他人にどう見られているのか」について異常に警戒している。

 中でもこれが強く表れているのは、「ゲイ」疑惑についての記述である。市橋達也は逃亡中、自分を特集するテレビの中で、「市橋達也は新宿の歌舞伎町で、ゲイ相手に体を売ってお金を稼いでいた」というデマを目にする。これに対する彼の反応は以下である。

 この番組を見て僕は部屋で固まっていた。とても混乱した。

 いったい、こいつら何を言っているんだ!?

 僕はそんなことしてない!

 そんな所に行っていない!

 たとえ生きるためだって、そんなことをするぐらいなら僕はもうとっくに死んでる!

 テレビが放送したことはうそだ。僕はそんなことしてないって言いたかった。でも逃げている僕が電話できるわけがない。やっぱり犯罪者には人権などないんだと思った。逮捕された自分の姿を想像した。こんなデタラメを全国に放送されて、逮捕されれば、人は僕を奇異の目で眺め、さらしものにするだろう。刑務所でどんな目にあわされるかわからない。

 想像することをやめた。絶対に捕まるわけにはいかない、と思った。誰がこんなシナリオを書いたのか。大声でしゃべり続けている番組の司会者が憎かった。

 僕は性的倒錯者じゃない。

 本当は、こんな話は口にするのも嫌だ。でもやってもいないことでさらしものになるのは耐えられない。 

 手記は全体的に淡々とした記述が続いているが、この箇所だけ感情的な文章になっている。ビックリマークを4回も使って当時の動揺を表現しているから、ここはまさに彼の本心そのものなのだろう。

 逃走中にもかかわらず、市橋達也は「自分が他人にどう見られているか」を異常なほど気にしている。「こんなデタラメを全国に放送されて、逮捕されれば、人は僕を奇異の目で眺め、さらしものにするだろう」と書いているが、彼は自分の殺人よりも、ゲイと思われることに羞恥を感じている。彼にとっては、人を殺すことよりも、他人にゲイと思われることが恥ずかしいのだ。逆に言うと、彼にとって「殺人」はそれほどの重みのある行為ではないということでもある。

 他者の目線に対する異常な執心は、強烈な自己愛の裏返しである。ここからさらに考えると、市橋達也が逃走中に整形を繰り返したのも、単に顔を変えて人相をごまかすという理由のほかに、もともと自分の顔にコンプレックスがあって、逃走を機に顔を変えたという風にも思える。逃走してすぐに自分の鼻を針で整形したのも、おそらく以前から自分の鼻に不満があったんではないか。

 市橋達也がこの本を書いたことも、自分をどのように見てもらいたいか表現するためである。「ゲイではない」と感情的に書いているように、彼はすでに捕まっている今でも他人の目を執拗に気にしている。四国の遍路の旅が、リンゼイさん殺害の「贖罪」のためだったと言っているのも後付けの理由だろう。

 この本から読みとれるのは、作者の強烈な自己愛と、それを隠して、「罪と罰のあいだで揺れ動く人間らしい自分」を演出する狡猾な殺人犯の姿である。