つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

STAP細胞事件の「なぜ?」を考える

・なぜ小保方氏はいまだに注目されるのか?

 小保方晴子氏はSTAP論文不正事件のあと、2冊の本を出している。『あの日』と『小保方晴子日記』である。本を書くだけでなく、瀬戸内寂聴と対談したり、グラビアを撮ったりもしている。今でも、彼女がなにかするたびに、世間はざわつく。まるでスターのようだ。

 いまだに小保方氏が世間の注目を集めるのは理由がある。それは、STAP事件の「真相」が、まだ明らかになっていないから。

 たしかに、「論文がいかに捏造されたか?」は調査によってある程度は明らかになり、一応の決着はついた。でも、「ではどうして捏造行為をしたのか?」という肝心のところは隠れたままである。

 肝心の謎が明かされていないから、いまだに小保方氏は世間の注目を集める。ひょっとしたら小保方氏が「なぜ?」への答えを語るのかも、と人は期待するからだ。「なぜ?」への答えを持っているのは小保方氏ただ一人なので、彼女の言葉には価値がある。

 でも、小保方氏が「なぜ?」に答えることは絶対にない。なぜなら彼女はSTAP現象を本気で信じていて、不正を不正だと認識していないからである。彼女にとってSTAP現象はまったき真実で、その真実に至るための道筋が少し歪んでいたことは些細な問題に過ぎないのである。だから、彼女は「なぜ?」への返答を期待する人々を横目にみつつ、核心からずれたゴミ同然の情報を供給してお金を稼ぎ、自尊心を満たし、しばらく姿を消す。

 以上の理由から、小保方氏に「なぜ?」の答えを期待してもしょうがない。本人しか分からないことを本人が語らないのだから。よって、このもやもやとした感情に片をつけるために、「なぜ?」について可能な限り推測してみることにする。というわけで、以下は、STAP論文をめぐる「なぜ?」についての、私の推測である。

 

・「STAP細胞」はどのように生まれたのか?

 小保方氏は2008年の夏から約1年間、ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授の研究室で「胞子様細胞」の研究を始めている。胞子様細胞とは、バカンティが2001年の論文で唱えた仮説である(ただし、その存在は確認されていない)。この胞子様細胞が、STAP細胞の着想元であり、胞子様細胞の延長上にSTAP細胞があると考えてよい。実際、STAP論文の共著者として、チャールズ・バカンティとその弟のマーティン・バカンティ、小島宏司(バカンティの研究協力者)の3人の名前がクレジットされている。

 バカンティたちは「胞子様細胞」の存在を信じて、10年以上にわたって研究を続けている。ただ、上述のように、この細胞は仮説にすぎず、論文でその存在を証明できてはいないし、存在を示すようなデータもない。だが、バカンティのもとで学んだ小保方氏は、胞子様細胞の仮説をもとに、STAP細胞のアイディアを思いつき、それを「信じた」。

 私は、この「信じた」という部分が、STAP騒動の核心だと思う。彼女はSTAP論文の不正が認定されたあとに開いた記者会見で、記者の質問に答える形で「STAP細胞はあります」と発言した。この言葉は、正確な言葉に言い直すなら、「STAP細胞はあると私は信じています」だろう。小保方氏はずっと、STAP細胞の存在を信じていた。だから、記者会見で臆することなくあの発言ができたのだし、論文の不正も行えた。信じていたからこそ、不正をしたのである。

 小保方氏が、STAP論文での不正の認定後も、また博士論文での不正の認定後も、悪びれることなく常にSTAP現象の存在を主張できたのは、その存在を本当に信じていたからだ。論文における不正も、彼女にとっては、「悪意によるもの」ではなかった。なぜなら、STAP細胞は「ある」のであり、それを証明する方法がいくらか歪んでいたとしても、「ある」という事実に変わりはないからである。証明する手段が不正か否かは小保方氏にとっては重要ではない。「ある」という動かしがたい事実の前では些細なな問題である。だから彼女は、悪気なく、あくまでも「ある」という真実に至る方便として、実験結果を捏造し、画像に手を加えた。

 小保方氏はSTAP細胞を信じていたから不正ができたのだし、今でもその姿勢に変わりはないはず。彼女は論理よりも信仰を重視するスタンスであり、その点でアンチ科学者である。だから、小保方氏は科学的な真実を求める科学者というよりも、STAP細胞を無条件で信じる宗徒というのが現実に近い。

 普通であれば、そんなアンチ科学者の研究が表舞台に出てくることはない。トンデモ学説はたいてい地を這いつくばるものだ。しかし、STAP事件で特殊なのは、そんなトンデモ学説がみるうちに出世して正統性を獲得し、ついには「世紀の大発見」として理研から世界へ発表されたことである。

 なぜ、数多あるトンデモ学説の1つにすぎないSTAP現象が、ここまでの信頼性を獲得しえたのか?

 

・なぜSTAP細胞はあれだけ注目されたのか?

 STAP現象を信じた小保方氏は、一流の研究者を味方に引き込むことで、信頼性を獲得していった。1人目が若山氏、2人目が笹井氏である。ともに理研所属の研究者であり(若山氏は後に山梨大へ移動)、世界的に名前が知られている。

 小保方氏はまず若山氏に接触して、共同研究を提案する。若山氏はこれを快諾し、小保方氏は理化学研究所のCDB(発生・再生科学総合研究センター)の客員研究員となって、STAP細胞の研究に携わることになる。そこでの研究成果を論文にまとめ、2012年の4〜7月、3大誌(ネイチャー、セル、サイエンス)に立て続けに投稿するが、すべてで不採択。ちなみに、この最初の投稿の時点で、査読者から論文内の画像に不適切な修正があるという指摘をすでに受けている。

 不採択の結果を受け、2012年12月、小保方氏は笹井氏に接触する。笹井氏は論文執筆能力の高さに定評があったので、主に論文執筆でサポートを受けた。こうして修正されたSTAP論文は2013年3月、ネイチャーへと再投稿される。査読コメントに基づく2度の改訂を経たあと、その年の12月に無事採択され、2014年1月に雑誌に掲載された。

 この経緯を見ると、若山氏と笹井氏の2人が、STAP現象の正統性獲得に大きく貢献している。この2人の責任はきわめて大きい。STAP現象の中身が空っぽであることを見極めることができなかった2人は、いわばSTAP事件の共犯者と言える。実際この2人は、STAP事件がもとでそれぞれ所属先から責任を追及されることになる。

 ただ付言すると、若山氏は、小保方氏との共同実験で一度だけ成功したあと、小保方氏抜きで何度も追試を繰り返している。だがすべて失敗していて、STAP論文が掲載される時期にはかなりの焦りがあったという。論文の著者であるにもかかわらず、実験を再現できていないからである。しかし、この「追試が成功しない」という実体験があったからこそ、いちはやくSTAP論文の危うさに気づき、共著者の中で最初に論文撤回に動き出すことができたとも言える。

 一方で、笹井氏は、小保方氏の論文執筆をサポートし、STAP論文をネイチャー掲載へと導いた。なぜ笹井氏は、小保方氏を信じたのか? これは当時の理研CDBが置かれていた状況を考える必要がある。

 理研CDBの研究予算は年々減額されていた。理由は、CDBの主任務は基礎研究であり、再生医療のような応用研究に比べて重要性が低いと評価されたためである。CDBの副センター長であり、予算獲得の任にあった笹井氏は、基礎研究の重要性が理解されない状況を嘆きつつも、一方で減らされるばかりの予算を増額するアイディアを考える必要があった。

 そこで出会ったのがSTAP細胞である。STAP細胞再生医療に役立ちうる将来性を持っていたので、予算獲得にはうってつけの素材だった。CDBはあくまで基礎研究がメインだが、「再生医療に役立つ」研究を行うと打ち出せば、巨額の研究予算獲得につながる。だから、CDBは小保方氏を特別措置で研究ユニットリーダーとして抜擢し、STAP細胞の発見者としてメディアに売り込んだ。このあたりの経緯は、『捏造の科学者』に詳しい。

捏造の科学者 STAP細胞事件 (文春文庫)

捏造の科学者 STAP細胞事件 (文春文庫)

 

  つまり、小保方氏と笹井氏のつながりは、両者にとってメリットがあった。小保方氏としては、論文を採択してもらうために、笹井氏のノウハウと知名度を利用できた。一方で笹井氏も、CDBの予算獲得のために、STAP細胞という分かりやすい研究成果を得られた。小保方氏が笹井氏を必要としたように、笹井氏にもまた小保方氏が必要だったのである。だから笹井氏には、STAP細胞を「信じる」下地があった。その下地が笹井氏を盲目にして、STAP現象が空洞であることを隠してしまった。

 その結果、STAP細胞は、多数のメディアを招いての記者会見で大々的に発表されることとなる。この記者会見には笹井氏のバックアップが相当にあったようで、メディアに配布する資料も笹井氏自らが作成に関わっている。その資料では、iPS細胞と比較してSTAP細胞がいかに優秀かをイラスト付きでアピールしていた。

 

STAP細胞は宗教である

 こうして見ると、STAP論文をめぐる一連の騒動は、宗教が普及していくプロセスによく似ている。バカンティという本山から、一人の信徒(小保方氏)が独立して「STAP教」を開き、権力者(理研、若山氏と笹井氏)を取り込んで一気に信徒を獲得する。だが、「既得権益を守るのに必死な権力者たち」(メディア、理研、科学界)が、STAP教の神(STAP細胞)の存在を否定し、信徒たちを弾圧したことで、勢いは衰え、組織は瓦解し、STAP教を支えた1人の信徒は無念の自死を遂げた。

 けれども、開祖である小保方氏の言葉は、いまだに一部の人々の心をとらえて離さない。理性ではなく感情に訴えかける開祖の言葉を信じる人々はまだ一定数いる。それはどういう人かというと、彼女のカリスマ性なり容姿なり振る舞いなりに魅了された者、もしくは、メディアや政府がひた隠しにしている「真実」を自分だけが知っているという優越感に浸りたい馬鹿である。

 小保方氏は神の存在を真摯に訴え続け、その姿に心打たれた人々が新たな信徒となって彼女のもとに集まってくる。開祖は今は権力によって弾圧されて活動を制限されているが、ときどき世間の前に姿を現しては、信徒にありがたいお言葉を授けてくれる。

 小保方氏の著書『あの日』と『小保方晴子日記』2冊が、やけに詩的な文体で書かれていて、かつ作者のパーソナルな部分がふんだんに盛り込まれているのも、それが開祖の「言行録」であると考えると納得できる。信徒はその言行録を読み、彼女の人生を追体験することで、より信仰を深めていく。いま小保方氏が小説を書いているというのも、なるほど納得である。彼女の小説はきっと、一人の女性が「奇跡」を実現する物語になるのだろう。

 

 以上が、STAP事件についての、私なりの妄想である。事実の中に推測を混ぜて書いているので、あくまで想像の域を出ない。でも、最初に述べたように、小保方氏自身の口から真相を聞くことは絶対にないので、自分のなかのもやもやした感情は、このような妄想で片づけるほかない。

 とりあえずこの妄想で納得しておけば、今後、もし小保方氏がさらに何か行動を起こしても、暇を持て余した開祖のお戯れとして、笑って聞き流すことができる。