つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

『レッド』 暴力による組織の支配

 
 山本直樹による『レッド』3部作の感想。この3部作で、連合赤軍の結成から、あさま山荘事件までを描いている。

 第1作『レッド1969~1972』は、連合赤軍の結成と、山岳ベース事件の前半。

 第2作『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』は、山岳ベース事件の後半。

 第3作『レッド 最終章 あさま山荘の10日間』は、あさま山荘事件

 連合赤軍が起こした事件としては「あさま山荘事件」が有名だけど、事件の内容的には「山岳ベース事件」がはるかに凶悪。この漫画も山岳ベース事件をじっくりと描いていて、あさま山荘事件には1巻しか割いていない。

 筆致は極めて淡々としていて、人物の心理描写はほとんどない。事実を1つひとつ積み重ねていくスタイル。当事者の心理を正確に描くのは難しいし、リアリティも損なわれるという判断だろう。

 だから、読んでいて疑問が浮かんだ場合は、読者自身がその答えを推理するしかない。「どうして身内同士で殺し合うのか?」「総括に答えはあるのか?」といった疑問に対する解答は、読者に委ねられている。


・暴力による組織の支配

 この漫画にテーマを無理に求めるとすれば、「暴力による革命を目指すグループが、その暴力をグループ内部に向けたとき、何が起こるか」。そして実際に起こったのは、党員による党員殺し。

 一見すると、連合赤軍の事件は「極端な事例」に見える。でも、事件について調べれば調べるほど、この事件には普遍性があることに気づく。この事件は特殊具体的な事例ではなくて、いつでもどこでも起こることだということが分かってくる。

 事件の核心は、「組織を支配するために暴力を選択したこと」にある。組織というのは、その構成員をつなぎとめておくような力がないと、時とともに瓦解していく。だから、組織を支配しようとする人は、何らかの力でもって構成員をコントロールしておく必要がある。その力は、「金」だったり、「社会的な名声」だったり、「愛情」だったり、「信仰」だっったり、「伝統」だったり、「法律」だったり、「脅迫」だったりする。そういう選択肢があるなかで、組織のトップが「暴力」を選んだときに、悲劇が始まる。

 連合赤軍の事件はだから、組織の支配のために暴力を選んだことの結果の1事例にすぎない。同じようなことは過去にたくさんあったし、今でもたくさん起きている。例えば家庭間のDVや子どもの虐待がそうである。本来なら愛情や金銭的理由で結びつくはずの家庭に、暴力という因子が持ち込まれると、DVや虐待という結果が出てくる。他にも、有名な事例として「北九州監禁殺人事件」や「尼崎事件」があるが、原因は同じだ。

 

・なぜ連合赤軍は暴力を選んだのか?

 では、なぜ連合赤軍は暴力を選んだのか?

 そもそも、組織を支配するために暴力を選ぶ場合には、すでに組織の存続が危うくなっていることが多い。上に上げたDVや虐待、監禁事件などがそうである。組織が瓦解しかけているときに、暴力による恐怖で構成員を拘束し、団結力を高めるために、最終手段として暴力が持ち出される。

 実際、連合赤軍が当時置かれた状況はそうとう苦しかった。指導者層が逮捕・死亡して求心力が低下していたことに加え、残った指導者層も、金融機関や交番襲撃事件によって指名手配され、活動が制限されていた。

 組織としての行き詰まりは、構成員の離脱を招く。漫画でも、逃亡をめぐり葛藤する党員の姿が描かれている。

 こうした状況の中で、連合赤軍の指導者は暴力による組織支配にいきつく。これは、組織の行き詰まりに加えて、指導者層の思想面の弱さも関係していたように思われる。それまで組織を率いてきた指導者たちが逮捕・死亡したことで、思想面で成熟していない党員が指導者へと繰り上げられてしまい、思想によって構成員をつなぎとめることができなくなったために、暴力に頼らざるをえなかった、という経緯が推測できる。

 

・暴力は有用だから選ばれる

 最後に、連合赤軍の話から離れて、組織をコントロールする力としての暴力にどのような特徴があるのかを、一般論として考えてみる。

 第一に、暴力は簡単に使える。人間の体そのものが暴力の手段になるし、包丁やペンなどの身近なものが武器になる。「金」や「社会的名声」といった他の力に比べると、暴力は身近で使いやすいのだ。

 第二に、暴力は構成員を拘束しやすい。「自分がターゲットにされたくない」という恐怖を構成員に与えることで、行動を束縛し、組織に強く紐づけることができる。構成員を束縛することで、組織の外に情報が漏れにくくなる。

 第三に、暴力は持続力が高い。暴力は身体的な痛みを伴うので、暴力を振るわれるたびに組織への忠誠が再確認される。これが例えば「愛情」や「伝統」だった場合、はじめは構成員にとって組織に所属する動機になっても、時とともに薄れて力を失っていくことがある。しかし、暴力の場合には、その力が痛みとして構成員に与えられるため、持続力が高い。そして、暴力を継続して行使することで定期的に発生する「死者」が、構成員同士の団結をそのつど更新し、暴力の支配力を強めていく。

 以上をまとめると、暴力は簡単に使えて、効力・持続力は抜群。つまり、組織を支配する手段として極めて有用である。だから何度も選ばれてきたし、今も選ばれている。だからなくならない。いくら禁じたとしても、DVや虐待は起こり続けるだろうし、監禁事件も定期的に発生するだろう。