つやだしのレモン

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マーティン『ナイトフライヤー』 マーティンは多彩だ

ナイトフライヤー (ハヤカワ文庫SF)

ナイトフライヤー (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作「氷と炎の歌」シリーズの作者であるマーティンの初期短編集。

 「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」が個人的にお気に入り。

 

・「ナイトフライヤー」Nightflyers

 ヴォルクリンという、ただひたすらに銀河系の外縁へと旅を続ける謎の種族がいる。そのヴォルクリンを一目見たい、彼らが外縁を目指す理由を知りたいという思いで、カーロイ・ドブラーニン率いるチームは調査に赴く。しかし、その調査チームが乗り込んだ宇宙船「ナイトフライヤー」の様子が、どこかおかしい、という話。

 この中編には2つの筋がある。「ヴォルクリンの探索」と「ナイトフライヤーの船長ロイド・エリスは何者か」である。最終的にこの2つの筋が絡み合ってエンディングを迎えるんだろうと予想しながら読んでいたが、特に交わることはないまま話が進み、そのまま結末に至る。意外。絶対どこかで接点ができるだろうと思っていたのに。

 エンタメSFとして楽しく読めるものの、キャラクターは消化不良の部分が多い。

 エリスに対してずっと協力的だったメランサ・ジャールというキャラクターがいるが、なぜ彼女はあれだけエリスに好意的だったのか、最後まで分からない。メランサのバックストーリーをもっと見せてくれないと、彼女の言動は謎のままである。最初はこいつが黒幕なんじゃないかと思った。

 エリスの行動についても不可解な点が多い。船を自分でコントロールできていないのに、ヴォルクリン探索に協力する理由が分からない。船を母親に操られてるのに、他人を載せようとするか? せめて最初に船の状況について説明しておこうぜ。全然説明しなかったせいで死人が出まくってるのに、「僕は止めたのに!」みたいな言い訳しか言わないのは面白い。子どもか。

 

・「オーバーライド」Override

 自然豊かな惑星で、「屍人」(しびと)を使って鉱石を採掘する男たちの話。大きな物語のプロローグのような内容で、これからどうなるのか気になる場面で終わる。

 「屍人」とは人工頭脳を埋め込まれた人間のことで、感情や意思はなく、「屍使い」に操られている。屍人の力は強いが、動作は緩慢で、精密な動きも苦手。死んだ人間というわけではないので、食事をとる必要もある。

 『氷と炎の歌』にもワイトを操るホワイトウォーカーが出てくるし、マーティンはこういうネクロマンサー的な設定が大好きなんだろう。

 

・「ウィークエンドは戦場で」Weekend in a War Zone

 戦争が娯楽として提供されるようになった時代。人は週末に戦場に出て、実弾で殺し合いをする。そのスリルが生きることの喜びを実感させてくれる。

 主人公は自尊心が高くて妬みの感情を蓄えている中年だが、戦場では情けない振る舞いしかできない。内心では周囲の人間を馬鹿にしまくってるのに、行動は完全に臆病者のそれ。その不一致が哀愁を誘う。

 

・「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」And Seven Times Never Kill Man

 この短編集で一番印象に残った作品。でも理解しきれていない点も多い。

 なので、以下に自分なりの解釈を書いてみる。

 

 その前にあらすじ。

 惑星コルロスには、ジャエンシという原住民が住んでいる。猿のように全身に灰色の毛が生えている種族で、狩猟採集に基づく原始的な生活を送り、森の中に建つピラミッドを崇拝している。

 その惑星に、人間が移住してくる。彼らは〈バッカロンの子ら〉と名乗る軍事教団で、「バッカロン」という名の神(大剣をもつ若い男の姿をしている)を崇拝している。武力による征服を旨としており、軍事的に他種族を支配することに躊躇しない。

 〈バッカロンの子ら〉は、原住民ジャエンシを「人間に劣る種族」とみなして迫害する。〈鋼の天使〉と呼ばれる掃討部隊がピラミッドを破壊し、ジャエンシたちを虐殺する。

 ジャエンシと交易する目的で惑星コルロスにやってきた商人ネクロルは、〈鋼の天使〉による虐殺を目にして憤る。ネクロルはジャエンシの彫刻作品を高く評価している。ネクロルは、ジャエンシが人間と同じ豊かな文化をもつ種族だと〈バッカロンの子ら〉に訴えるが、彼らはろくに耳を貸さない。

 そこでネクロルはジャエンシに戦うことを提案し、レーザーライフルを交易品として差し出す。だがジャエンシたちはそれを受け取らず、戦う意欲も見せない。しかたなく、ネクロルははぐれ者のジャエンシたちを苦労して集めて、レーザーライフルの使い方を教え、来たる日に備える。

 そんな中、〈バッカロンの子ら〉の教父であるワイアットは、「ジャエンシを徹底的に掃討せよ」という神託を授かる。だがその神託に対し、〈鋼の天使〉の一人であるカラ・ダハンは疑問を持つ。遥か昔の星間戦争で、〈吸魂鬼〉と呼ばれる怪物が兵器として使われたが、この神託はひょっとすると、その怪物によるものではないかという疑いである。〈吸魂鬼〉は遠方から人間の精神に接触して狂気を吹き込み、同士討ちをするように仕向ける。こんどの神託も、バッカロンからの教えなどではなくて、〈吸魂鬼〉による精神操作なのではないか? ――そんなダハンの疑いを教父ワイアットは否定し、バッカロンの教えを信じるよう諭す。

 神託を告げられた〈鋼の天使〉たちは、ジャエンシの掃討を開始する。だがその途中、ジャエンシの村で、〈天使〉たちはジャエンシから、バッカロンをかたどった彫像を渡される。最初〈天使〉たちは、これはジャエンシが人間に媚びる策略ではないかと疑うが、教父ワイアットは、これこそがバッカロンの奇跡であり、ジャエンシのもとにもバッカロンが現れたのだと教える。

 続いて、〈天使〉らはジャエンシの最大の村へと向かう。そこに、ネクロルもまた、争いが起きないようにとの願いから駆けつけてくる。ネクロル配下の武装したジャエンシと〈天使〉が対峙し、一触即発の雰囲気となるが、そこで予想外の出来事が起きる。村のピラミッドが透明になり、その中にジャエンシの姿が現れたのだ。

 ジャエンシと〈天使〉はともに激しく動揺する。そのとき、ネクロルと行動をともにしていたジャエンシの一人である〈辛辣な語り手〉が突然、雄叫びをあげ、それに呼応した仲間がレーザーライフルで〈天使〉の一人を撃ってしまう。それがきっかけとなって戦いが始まり、ジャエンシの大半が一方的に殺され、ネクロルもまた命を落とす。

 その戦いからしばらくして、ネクロルの商売仲間であったライザーが、惑星カルロスを訪れる。彼女はネクロルの依頼を受けて、レイザーライフルを交易品として持参していたが、肝心のネクロルはすでにおらず、彼の住処を探しても凡庸な彫像があるばかり。あれだけいたジャエンシの姿も、今はもうほとんど見かけない。

 ライザーは〈バッカロンの子ら〉を訪ねるが、そこで目にしたのは、教父ワイアットが完全に狂気に冒されているさまである。冬のために備えていた食糧を燃やし、「選民」と称して幼い子供たちを殺して城壁に吊るしていたのだ。

 ライザーは生き残ったジャエンシを連れて、惑星カルロスを去る。

 

  一読しただけでは話の内容がつかめなかった。難しい。意図的に分かりづらくなるように書かれている。

 以下、この物語に対する1つの解釈。

 教父ワイアットは〈吸魂鬼〉に支配されている。神託はダハンが疑ったように、〈吸魂鬼〉による精神攻撃である。だから、ワイアットはジャエンシを掃討したあと、その殺戮衝動を〈バッカロンの子ら〉内部へ向けてしまう。冬が来れば、彼らはすぐに滅びるだろう。これはまさしく〈吸魂鬼〉の狙い通りである。

 〈吸魂鬼〉に操作されていたのは人間だけではない。ジャエンシたちもまた、少なからず〈吸魂鬼〉の影響下にある。例えば、ジャエンシの彫り師たちは彫刻を彫っているが、その彫刻のモチーフは〈バッカロンの子ら〉の信仰に出てくる神々である。これはつまり、〈吸魂鬼〉が、人間にもジャエンシにも同じイメージを送っているということを意味する。〈辛辣な語り手〉がネクロルに対して「その彫刻を見たことがない」と言っていることからそれが分かる。彫刻を彫るようになったのは伝統ではなくて最近の出来事であり、つまり人間がコルロスに来てジャエンシを迫害しはじめた時期と重なっている。また、最後の殺しあいの引き金となった〈辛辣な語り手〉の突然の雄叫びも、〈吸魂鬼〉の精神攻撃によるものだろう。

 そして、ジャエンシの彫刻を「素晴らしいアート」だと捉え、星間交易に利用しようとするネクロルもまた、〈吸魂鬼〉の影響下にある。ネクロルはジャエンシの彫刻の価値を信じて疑わず、これが市場に出回れば宇宙中の商人たちがこの惑星に殺到するだろうと考えている。だが、ネクロルの商売仲間であるライザーの目から見ると、その彫刻はつまらない模造品でしかなく、実際、交易でも買い手を探すのに苦労している。おそらくネクロルは、何度か惑星コルロスを訪れるうちに、〈吸魂鬼〉の精神攻撃にさらされたのだろう。

 ピラミッドからバッカロンの像が現れたのが、この物語で一番の謎だ。〈辛辣な語り手〉によれば、ピラミッドはジャエンシたちが作ったものではなく、もともとそこにあったものである。ということは、この惑星には、ジャエンシたちが住む前に、別の誰かが住んでいたということ。それはおそらく、バッカロンを信仰していた人間たちだろう。そう考えると、ピラミッドにバッカロンの姿が現れたことも説明がつく。そして、ピラミッドを作った人間たちもまた、〈吸魂鬼〉に支配されており、それゆえに滅亡して姿を消したのだろう。

 

 以上が、何度か読み返したうえでの、ひとまず納得のいく解釈。

 人間とジャエンシの対立は、よくある「文明vs野蛮」という構図だが、ふつうは文明の側が病的な征服欲にとりつかれていて、野蛮は原始的ながらも素朴さを保っているという対比になることが多い。だがこの短編では、人間だけでなくジャエンシもまた〈吸魂鬼〉の影響下にあるというのが独特であり、シニカルである。

 作者のマーティンは、末尾の訳者解説によると、信心深い家庭で育ちながらも、信仰を捨てて無宗教を選んだ人だという。そういう著者のバックグラウンドを踏まえて考えると、この短編には宗教への徹底した不信感が埋め込まれているように思える。また、精神攻撃を行う〈吸魂鬼〉が、最後までいっさい姿を現さないことからは、この話を単なる「怪物による精神攻撃」というSF的枠組みで捉えてほしくないという著者の意思を感じる。

 〈バッカロンの子ら〉のような信仰は、理不尽さと不可解さを内に含みながら、病気のように感染していく。だから戦争の引き金になるし、残虐行為を正当化する手段にもなる。本来なら命を救うはずのものが、命の息の根を止める方向へ向かってしまうという、笑えない皮肉。

 マーティン作品で宗教をテーマとしたものは、他に「この歌を、ライアに」「龍と十字架の道」がある。

 

・「スター・リングの彩炎をもってしても」Nor the Many-Colored Fires of a Star Ring

 完全な虚空と向き合う人間。作中で昔の詩が何度か引用されているように、こういうテーマは古くからある。それをSFの設定で展開させた短編。

 次の「この歌を、ライアに」も同じようなテーマだが、「この歌を」のほうが内容的に一歩踏み込んでいる。

 

・「この歌を、ライアに」A Song for Lya

 マーティンによると本作は自らの代表作とのこと。

 テレパシー能力を持つ男女2人(ロブとライア)が、惑星シュキーアの原住民の宗教に触れて、ある選択をするという話。

 物語の大まかにまとめると、「異星の異文化と接触したことで価値観を強く揺さぶられる」というもの。ル・グィンティプトリーの短編によくあるタイプのやつである。

 ただ、グィンやティプトリーが物語のメッセージ性を優先して、登場人物の性格や言動、舞台設定の作り込みをおろそかにしがちなのに対して、マーティンは登場人物の造形やSF的な不可思議さにもこだわっている。主人公の2人の微妙に噛み合わない関係や、総督ヴァルカレンギとその恋人ローリーの破局にはキャラクターの妙味が出ているし、融和聖がグリーシカを頭に乗せて街を練り歩く光景はゾクゾクするようなSFみがある。

 特に、融和聖が最終的にグリーシカに喰われて死を迎えるという残酷さ、生々しさは、シュキーンの宗教が単なる理想ではなく現実と付き合うための一つの方法に過ぎないことを物語る。このあたりのマーティンのバランス感覚はすごい。

 ライアは融和聖の見せる愛に自分の居場所を見て、融和聖になることを選ぶ。自分の中の壁をすべて取り去って、すべてをさらけ出して他人と交われば、自分と他人の区別がなくなるくらいに互いを愛せる。ライアは能力の高いテレパスで、ふだんから他人の心の深層を覗いて強い影響を受けることがあり、精神的に不安定だった。だからこそ、自他の区別がなくなるくらいに愛し合える関係性に惹かれた。融和聖の見せる愛こそが、生きることの空虚さから解放されるための鍵だと感じたのだ。

 一方でロブは、障壁を完全にとりさって他人と混じり合うことに納得しきれない。融和聖やライアが見せる愛に理解を示しつつも、そこに身を委ねることに躊躇する。それはロブが、人間の愛をまだ信じているから。他人と融合することなしに、人間が昔から知っているやり方で愛することで、平穏を得られるかもしれないと思っているから。だからロブは、ライアを求めながらも、シュキーアから去ることを選ぶ。

 この2人の選択は、ともに共感ができるし、だから2人の別れは痛ましい。さらには脇役ヴァルカレンギが、シュキーンの宗教に徹底して無理解なのもいい。

 こういう短編も書きながら、「ナイトフライヤー」みたいなエンタメも書ける幅の広さ。マーティンは多彩だ。