つやだしのレモン

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ホドロフスキー・メビウス『アンカル』

メビウスは画家であって漫画家ではない

  • メビウスという画家の画集。300ページを超える。画集なだけあって高価で、定価は3800円。
  • この画集を眺めて分かるのは、メビウスは画家であって漫画家ではないということ。一枚の絵で魅せることはできても、ストーリーに合わせてキャラクターに肉づけをしたり、物語を膨らませていく力はもっていないということである。
  • 日本の漫画家たちは、メビウスの絵を称賛するけれど、メビウスの描く物語については語っていない。巻末に載っている日本の漫画家2人の対談でも、絵ばかりが褒められていてストーリーについての言及がまるでない。物語について語られていないのは、物語らしい物語がないからである。『アンカル』は、奇抜なアイディアと美しい一枚絵が貼り合わされてできた画集ではあるが、一つの物語をもつ漫画には見えない。キャラクター描写は徹底して放棄されているし、漫画を貫くような脚本は存在していない。

●キャラクター描写は放棄され、物語は散らばっていく

  • まずはキャラクターについて。主人公のジョン・ディフールについては、主人公特権である程度はその輪郭が描かれてはいるが、「冴えない主人公が世界を救う」という定型から踏み出すことはできてない。「R級探偵」で「警察から追われている」という設定で、最初はハードボイルドっぽく物語は展開していったのに、後半はそんな設定が忘れ去られ、ディフールは「探偵」としての技能を1ミリも発揮することなく、なぜかグラディエーターの真似事をし、果ては世界を救うバトルへと飛び込んでいくのだが、そんなスケールの大きい冒険に際して、ディフールは「俺なんかには無理だよ!」という定型句を連発し、ヒロインに「あなたならできるわ!」と慰められる展開が何度も繰り返される。この古式蒼然とした少年漫画的展開を、1980年代のコミックで行っていることにまず驚かされるのだが、そのような安っぽさは、見事な絵によってなんとか覆い隠されている。
  • 主人公以外のキャラクターについてはまさに壊滅的で、超一流の暗殺者の「メタ・バロン」は武闘派にもかかわらずその戦闘能力をほとんど見せぬままに終わるし、「アニマ」というヒロインはただ主人公の恋人としてしか機能していない。アニマとは姉妹の女性キャラは名前すら思い出せないほど個性がなく、姉妹であれば姉妹特有の性格の違いや結束が描かれてもよいはずなのだがそういう要素は一切なく、「アンカルの守護者」?とかそんな設定があったはずだがそれは物語が進むにつれてどっかにいってしまっている。犬の頭をしている「キル」という男は、見た目のインパクトがあるだけに目立ってはいるのだが、なぜ犬の頭なのかは最初から最後まで読んでも書いていなかったし、こいつが主人公たちと行動をともにしている理由も分からないし、何か役に立つようなことをして主人公を助けているわけでもなく、いてもいなくても変わらない存在であった。
  • このような、キャラクター描写の圧倒的欠乏が、ただでさえ散逸的なストーリーをさらに空洞にしている。この漫画をなんとか苦労して読み終わって2、3日もすれば、また新たな漫画を読むような感覚で『アンカル』のページを開けるだろう。

●『アンカル』の正しい読み方

  • ただ、これは決して、メビウスや『アンカル』をけなしているわけではない。この『アンカル』という漫画自体が、エピソードごとに散発的に出版されたものなのだから、そもそも統一的な物語のもとに作られたものではないのであって、だから統一的な物語を期待するのは間違っている。この漫画が想定している読者層は、漫画になにか「高尚」なものを求めている人ではなく、単に娯楽として、暇つぶしとして漫画を読もうとしている人々である。だから、『アンカル』も、単に、一つの暇つぶしの娯楽として、そこで展開されている冒険活劇を単純に目で見て楽しむための漫画なのである。ゆえに、世界観やキャラクターはなるべく奇抜で読者の目をひくようなものが求められているのであり、物語としての深みやキャラクターの魅力は必要とされていない。裸の女性がよく出てくるのも、そのような需要があるからである。漫画の類型としては、だから、日本の貸本漫画に近いと言っていいだろう。
  • したがって、この邦訳の重厚なハードカバーと、漫画にしては高い定価に騙されてはいけないのだ。一つの「偉大」な漫画を読もうとしてこの『アンカル』のページを開くのではなく、何もすることがないときにスナック菓子をつまむのと同じ感覚で、あるいは電車の中で退屈を紛らわすためにスマートフォンの画面をいじるのと同じ感覚で、『アンカル』のページを開くのが、この本の成り立ちにピッタリの読み方である。この漫画に深い意味とか、裏を読む解釈を求めることなど、お門違いも甚だしい。