つやだしのレモン

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小説が好きな人向けの、漫画の傑作10選

 小説が好きな人向けの、オススメの漫画10選。Kindleで買えて、完結している作品を選出。

 「小説が好きな人向け」なので、アクションやバトルよりも、物語として完成度が高いものを選んだ。「短時間でざーっと読む」タイプの漫画ではなく、「腰を据えてじっくり読む」系の作品。

 

新井英樹ザ・ワールド・イズ・マイン』(全15巻)

 知る人ぞ知る傑作。あらゆる漫画の中でこれを超えるものはたぶんない。

 よく、新井英樹は「読む人を選ぶ」と言われる。たしかにそういう部分はある。絵にクセがあるし、話の導入が長くて序盤は分かりにくい。

 でも、100年先でも読まれているのは新井英樹の漫画だと思う。100年後の漫画の教科書に載っているのは新井英樹だと思う。

 『ザ・ワールド・イズ・マイン』はそんな新井英樹の代表作で、紙面にみなぎる緊張感、キャラクターの個性、抜群のセリフ回し、すべて驚異的。初読時は本当に衝撃だった。時間を忘れて読みふけっていた。

 何度か再読して気づくのは、それでも作品としての粗は結構あること。スケール広げすぎて整合性がとれてない箇所とか、いまいち意味が分からない場面があるにはある。でも、そうした粗すら魅力に感じられるような熱量がこの漫画にはある。

 新井英樹はこの他にも、『宮本から君へ』『愛しのアイリーン』『SUGAR』『RIN』『キーチ!!』『キーチVS』『SCATTER』など、作品はどれも独特でおもしろい。ただ、『キーチVS』以降の作品は、陰謀論めいたものが作品のうしろにあって、ちょっとついていけてない。

 

藤本タツキファイアパンチ』(全8巻)

  最近読んで驚いた漫画。シンプルな復讐の物語と思いきや、話はどんどん想定外のほうへ向かっていく。

 キャラの会話シーンが巧い。この人特有のユーモアみたいなものが漂っている。話している2人のセリフが微妙に噛み合わないままで会話が進んでいく感じ。

 巻が進むにつれて話がどんどん壮大になっていくけど、これくらいにぶっ飛んでいくほうがむしろいい。上に挙げた『ザ・ワールド・イズ・マイン』もそうだが、物語としては破綻をたくさん抱えているけど、作者が書きたい場面をたくさん詰め込みましたみたいな作品のほうが、読んでいて楽しい。別に完璧なものを読みたいとは思わないから。

 対照的に、この作者の2作目『チェンソーマン』は、『ファイアパンチ』と比べて物語としてのまとまりはあるけど、『ファイアパンチ』のようなぶっ飛び方はしないんだろうなという予感がある。お決まりの枠の中で器用に話を組み立てているような印象で、つまらなくはないんだけど、『ファイアパンチ』の作者じゃないと書けない漫画ではないんじゃないかと思ってしまう。今の時点で既刊は2巻のみなので、これから大きく変わるのかもしれないが。

 

楳図かずおわたしは真悟』(全16巻) 

  楳図かずおは、今でこそ赤白ボーダーを着てキテレツな邸宅に住むグワシのお爺さんと化しているが、漫画家としても数々の名作を残している。中でも『わたしは真悟』は宝石のような作品。

  作品を一言でいうなら、子どもの世界で起きる奇跡を描く「童話」。奇跡とは起こりえないことをがむしゃらに信じる力のことで、この漫画はそういう奇跡を起こした2人の物語である。

 まさに「Don't think, feel」という言葉がぴったりの漫画で、ストーリーを言葉で説明するのは難しい。あらすじを説明しても陳腐に感じるだけで、実際に漫画のコマの中で奇跡が起きていることを肌で感じてもらわないと、この話は伝わらない。

 この漫画を読んでいて思うのは、こうした他愛もない奇跡を、子どものときの自分も信じていたということと、そのようなひたむきに信じる気持ちが今の自分にはないということ。大人になるということがじんわり分かる漫画であり、だから切ない。

 

肥谷圭介鈴木大介ギャングース』(全16巻)

  「子どもの貧困」と「犯罪」をテーマとする社会派の漫画。だがエンタメとしても完成度は高く、漫画的表現も凝っている。

 貧困問題に詳しいルポライター鈴木大介が原案に関わっているので、犯罪行為の描写がリアル。特に、「オレオレ詐欺」の犯人グループのディティールは圧巻。犯罪に手を染めてしまう少年・青年たちに寄り添うような視線が優しい。なぜこのような詐欺がなくならないのかが理解できる。

 

山口貴由シグルイ』(全15巻)

 登場人物がみな個性的。独特なセリフ回しがキャラを引き立てている。この漫画特有の世界観というか、他の漫画家には出せないような雰囲気がある。

 物語に活かしきれていないキャラが何人か出てくるとか(ガマ剣士はなんなんだ)、後半に意図的な引き伸ばしがあるとか(12〜14巻のまったり感はなんだ)、ツッコミどころは結構ある。でもそういう瑕疵が気にならないくらいに、キャラも表現も魅力的。

 山口貴由の漫画は他に『覚悟のススメ』『エクゾスカル零』『衛府の七忍』などあるけど、その中でこの漫画の完成度は群を抜いている。

 

堀尾省太刻刻』(全8巻) 

刻刻(1) (モーニングコミックス)

刻刻(1) (モーニングコミックス)

 

  『HUNTER×HUNTER』のような、「独自のルールのもとでの心理戦、駆け引き」を描いている漫画。設定が緻密で、その緻密さがきちんと漫画の中で生かされている。

 話もおもしろいが、漫画的な表現力も抜群に高い作品で、ずっと「すげー」と思いながら読んでいた。この作者の次作『ゴールデンゴールド』もそうだが、ちょっとした描写にも気が配られていて、再読するたびに「これはそういうことだったのか」という小さな発見がある。詳しくは以下の記事を参照。

 

 ・手塚治虫きりひと讃歌』(全4巻)

きりひと讃歌 1

きりひと讃歌 1

 

 『火の鳥』とか『アドルフに告ぐ』はもう古典として定着した感があるので、あえて少しはずして『きりひと讃歌』を挙げておく。

 第1巻を読めば分かるように、この漫画は『白い巨塔』の影響をもろに受けている。ただもちろん模倣に終わっているわけはなく、手塚治虫流の味付けがなされている。

 『白い巨塔』が大学病院の封建制をテーマとするのに対し、『きりひと讃歌』はそこに「ケモノ化」の要素を加えて、エンタメとして読み応えのあるものにするとともに、「外見による差別」、今風にいえばルッキズムの問題を混ぜこんでいる。

 『白い巨塔』は今読むとやや単純すぎるというか、人間を勧善懲悪の枠に当てはめすぎて話が歪んでいるような印象を受ける(最後の手術のくだりは読んでいて笑ってしまった)。

 一方で『きりひと讃歌』は、いろんなパーソナリティをもつ人間が出てくるので飽きない。このあたりはさすが手塚治虫で、清濁あわせもつ人間の有り様を書くのがうまい。

 

岩明均寄生獣』(全10巻)

寄生獣(1) (アフタヌーンコミックス)

寄生獣(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 もはや古典。漫画好きでこれを読んでいない人はたぶんいない。でも好きなので挙げておきます。漫画として非常によくできている。

 よくできた漫画というのは、話にまとまりがあるがゆえに、読んでいる側が解釈する余地が少なく、だから一度読んだだけで満足してしまうものが多い。でも『寄生獣』は、よくできている漫画なのに、読者が自由に想像していいスペースを残してくれている。なので再読の楽しみがある。

 このあたりのさじ加減、岩明均は本当にうまい。画力、表現力、ストーリーテリング、すべての能力を兼ね備えている漫画家。岩明均の別の長編『七夕の国』も名作。

 

白土三平カムイ伝』 (全15巻)

  『カムイ伝』は大学紛争に関連づけて語られることが多いが、単純にエンタメ漫画として抜群に面白い。

 カムイ伝には「第一部」「第二部」「外伝」の3つがある。「第一部」と「第二部」が本筋の物語で、「外伝」はその補足というか、本筋とは関係のない部分でのカムイの活躍を描く。

 「第二部」と「外伝」も面白いのだが、やはり『カムイ伝』の一番の読みどころは「第一部」だと思う。単純に物語として完成度が高いし、何より登場人物がみな魅力的。

 これだけキャラクターが生き生きと動いている群像劇はなかなかない。カムイ、正助、草加竜之進、夢屋、苔丸、赤目、水無月右近、笹一角、橘一馬、横目、小六など、名前を見ただけでもその人物の生き方がありありとイメージできるくらいに、個々のキャラクターの個性が生きている。

 以前は嫌なキャラにしか見えなかった人物も、時が経って再読すると共感できたりする。例えば夢屋は、学生時代に読んだときは商売のことばかり考えている嫌な奴だったが、今になって読むとその人としての魅力に気づく。月並みな表現だけど、この漫画は読者のそのときの人の心を映す。枯れない泉のような漫画である。

 

黒田硫黄大日本天狗党絵詞』(全4巻)

  最後にちょっと渋めの漫画をチョイス。

 黒田硫黄は筆で漫画を書くという珍しい漫画家で、ページが全体的に黒い。ごちゃごちゃしてて読みづらいのだが、それがかえって味になっている。

 黒田硫黄は「ひょうひょうと生きる人」を書くのが好きらしく、漫画にそういう人ばっかり出てくる。けっこうたいへんそうな毎日を送ってそうなのに、その逆境を楽しんで生きているような人。新井英樹が書くような暑苦しい人は出てこない。みんなちょっと人生に冷めていて、明日コロっと死んでもいいやみたいな雰囲気を出している。

 黒田硫黄の漫画を読んでいると、フリーター的な生き方に思いが至る。一昔前は、フリーターというと「自由に生きる新しいライフスタイル」みたいな肯定的な捉えられ方をすることがあったらしい。でも現在は日本中どこでも「格差」が叫ばれて、フリーターはすぐに貧困に結びつけて語られてしまう。だから、黒田硫黄が書くようなフリーター的な人々の話をいま読むと、むずがゆいような、でも少し羨ましいような気持ちになる。

 そうした「ひょうひょうと生きる人」がいちばん活躍しているのがこの『大日本天狗党絵詞』。「だいにっぽんてんぐとうえことば」と読む。タイトルの通り、「天狗」が現代社会で人間に反旗をひるがえすという漫画。「天狗」といっても、鼻が長くて顔が赤くてゲタをはいているあの天狗ではなく、ふつうの人間の姿をしている。

 この天狗が、まさに「ひょうひょうと生きる人」なのだ。「天狗」なのに全然かっこよくない、むしろ社会の底辺でかすみを喰らうダメ人間という設定がおもしろい。