つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

今月読んだもの 2020年3月

 

夢野久作ドグラ・マグラ

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

  • 作者:夢野 久作
  • 発売日: 1976/10/13
  • メディア: 文庫
 

 「胎児が見る夢」とか、「脳髄は物を考えるところに非ず」とか、「天才だけど破天荒で放浪癖持ちの科学者」とか、中二病の暗黒日記かなという内容が続く。

 小説としてはまとまりなんてまるでなくて、作者が気に入ったガジェットを鍋に全部ぶちこんでグツグツ煮た結果できあがったようなもの。自分が気に入ったものを脈絡なく混ぜ合わせるという意味ではサブカルっぽさがある。

 『ドグラ・マグラ』のキャッチフレーズとして「読むと精神に異常をきたす」がよく知られているけど、このキャッチフレーズの元ネタは作品内にある。上巻の90ページあたりで『ドグラ・マグラ』というタイトルの小説が紹介されていて、そこで「この小説を読んだ人は発狂する、自殺する」と書いてあるのだ。作者が読者に対してハッタリをかましているわけだが、そうやって作品を誇大に装飾する感じも中二病的で、読んでいてむず痒くなる。

 

榎本俊二『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』 

 2人の侍が野党を斬り捨てていくだけの漫画。シンプルだけど斬り方のバリエーションをいろいろ見せてくれて楽しい。

 「いかにも強そうな敵キャラ」が最初に出てきて、他のモブキャラたちとは顔立ちも違うので「お、これは激闘か」と思うんだけど、あっさりと殺される。そういう読者をニヤリとさせるような裏切りもある。

  Kindleで買ったんだけど、見開きの絵が多いので、KindleiPad)を横向きにして読むべき漫画。

 

野坂昭如エロ事師たち』 

エロ事師たち(新潮文庫)

エロ事師たち(新潮文庫)

 

 これはすごい。「エロ」を作った人々を扱った小説なのだが、小説としての彫琢が実に見事でそこに感心してしまう。落語を聞いているような流れるような文体と、バリバリの関西弁で交わされる会話の醸すリアリティ。

 この小説では人間はひたすらに性愛の道具である。男も女もセックスのことしか頭になく、エロ事師たちはいかに男たちの性欲を刺激するかに全身全霊を注ぐ。

 主人公の「スブやん」たちはエロをなりわいに生きる男たちであり、彼らの目から見ると女はセックスの対象でしかない。今の視点から見ると受け入れがたいような場面が相次ぐが、ただこの小説が独特なのは、「女性を性の道具として利用することでしか身銭を稼げない男の哀れさ」も映しているところ。

 特に主人公は、妻を亡くしてからインポとなるのだが、「人間=性愛」という世界で生きる者にとって、インポは存在が否定されるに等しい。不能の人間に人権はなく、死ぬしかない。実際、本当に死んでしまう。性愛をタネに生きているのに、その当人は性愛に携われないという皮肉。それでも性愛にしがみつかないと生きていけない人間の哀愁がたまらなく切ない。

 

深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』 

ミステリー・アリーナ (講談社文庫)

ミステリー・アリーナ (講談社文庫)

 

  あえて「バカミス」という。「あえて」と言っているのは、この本がまごうことなきバカミスなのに、それを売りにしていないのがもったいないと思うから。

 例えばAmazonの本書の紹介ページには「多重解決の究極にしてミステリー・ランキングを席巻した怒濤の傑作!!」とある。でも読んだ人は分かるだろうが、これは「傑作」と呼ぶような類いの小説ではなく、内容の荒唐無稽さにニヤニヤするタイプの小説である。だから、「多重解決の究極にしてミステリー・ランキングを席巻した怒濤の傑作!!」という言葉を真に受けて読むとどうしても肩透かしを食らってしまう。

 アリーナ・パートで司会と参加者が繰り広げる薄ら寒い会話もちゃんとラストにつながっているし、結末の「どうにでもなれ」感満載の投げっぱなしな感じも笑える。 バカミスとしてすごく楽しめるのだから、「多重解決の究極」とか「怒涛の傑作」みたいな煽り文句はもったいなく感じる。浅草花やしきのレトロなローラーコースターに「ノンストップ最恐コースター」というキャッチフレーズをつけるようなちぐはぐさ。

 

ジョン・ル・カレ『スパイたちの遺産』

スパイたちの遺産 (早川書房)

スパイたちの遺産 (早川書房)

 

  ル・カレによるジョージ・スマイリーのシリーズの最新作。スマイリーが登場する作品は結構あるが、有名なのは以下の4作。

 ・『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)

 ・『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』(1974)

 ・『スクールボーイ閣下』(1977)

 ・『スマイリーと仲間たち』(1979)

 『スパイたちの遺産』はこのシリーズの続編。主人公はスマイリーの腹心の部下であったピーター・ギラム。引退しフランスの片田舎で余生を過ごすギラムが、サーカスの過去の一事件と向き合うという筋書き。

 ル・カレのスパイ小説は、イアン・フレミングの007シリーズに比べるとリアル指向で、地味で乾いた記述が多い。ただ、ル・カレ作品には「悲劇で終わる恋愛」の要素が必ずある。『寒い国〜』はまさにそうだし、『ティンカー・テイラー』はスマイリーが妻を寝取られるし、『スクールボーイ閣下』のウェスタビーも仕事そっちのけで女に夢中になる。「悲劇で終わる恋愛」の話、という視点から見ると、ル・カレの小説はバリバリに王道でマンネリである。スパイものなんだけど、「恋愛せずに仕事(スパイ)しろよ…」と思ってしまう場面が結構ある。

 この『スパイたちの遺産』も、そういう「悲劇で終わる恋愛」の定型にすっぽりと収まるような作品。スマイリーの腹心だが頭のキレはいまいちな工作員ピーター・ギラムが、仕事そっちのけで情報源の女性と恋愛に溺れたという昔話が軸。『寒い国から帰ってきたスパイ』の裏話のような作品で、面白いんだけど、またそういう話か、とも思ってしまった。

 この小説は「あの時代のスパイたちは何のために働いていたのか」というのが大きなテーマとしてあり、それが作品に陰影をつけているんだけど、少なくともピーター・ギラムに関しては、「自分の下半身を満足させるために働いていた」としか思えない。その点では007シリーズのボンドと変わらない。

 

雫井脩介『望み』 

望み (角川文庫)

望み (角川文庫)

 

  加害者・被害者の「家族」たちが、マスコミの取材攻勢やネットの「犯人探し」によっていかに苦しめられるかを書いた小説。

 小説の中で、「高校生が別の高校生を殺す」という出来事が起きる。おそらくモデルは2015年に起きた川崎市中1男子殺害事件と思われる。被害者が部活をやめてしばらくして殺害されている、事件が起きる前から暴力を受けていた、ネット上で犯人探しが行われた、などの点で共通している。

 この小説で特異なのは、事件の当事者ではなくて、当事者の「家族」にスポットを当てていること。自分の息子が、加害者なのか被害者なのかも分からない状況で、日々マスコミのリンチに遭い、自宅は落書きなどの迷惑行為を受け、仕事でも風評被害にさらされる。真実が明らかでない状況で、私刑を行おうとする者たちの攻撃にさらされて当事者の家族が疲弊する様子を描いている。

 

薬丸岳『天使のナイフ』

天使のナイフ (講談社文庫)

天使のナイフ (講談社文庫)

 

 上の雫井脩介『望み』と同じく、「被害者の家族」が主人公。

  少年法がテーマで、「少年の更生」って具体的にどういうことなのか、と作中で繰り返し問われる。社会に役立つような人間になることが更生なのではなくて、事件の被害者とその家族に許してもらえるように償うことが更生だと主人公が発言しているのが興味深い。

 「更生したかどうか」を判断するのが難しいのは、それを判断する側に明確な基準がないから。本人に更生したかどうかを判断させるのは無理だし、かといって第三者が加害者の「更生」を見極めるのも難しい。もし加害者の更生を判断できる人がいるとすれば、それは被害者(とその家族)である。加害者が過去の行いを反省し、被害者に謝罪して許してもらうことが、更生することだと本作の主人公は言う。

 この主張には深くうなずける。もちろん、謝罪しても許してもらえないかもしれないし、厳しい言葉をぶつけられることもあるだろう。でも、まずは被害者への真摯な謝罪が、更生の第一歩となる。

 少年Aの『絶歌』を読んだときに、更生って何なのかと考えたけど、更生を考える際に絶対に必要なのは被害者の視点である。自分は、少年Aが更生しているかどうかを判断しようという気持ちで『絶歌』を読んだのだけれど、それがいかにおこがましい行為だったかを今思う。

 

岡田真弓『探偵の現場』 

探偵の現場 (角川新書)

探偵の現場 (角川新書)

 

  探偵の仕事の7割が浮気調査。著者が関わった浮気調査の中でも指折りのエピソードが紹介されている。こういう話を読んでると、「他人の不倫話は最高に楽しい」ということが分かる。

 特に興味深かったのは、夫と高校生の子供がいる50歳の女性が、昼間に熟女系の風俗で働いているというエピソード(Kindle版、553)。その女性、結婚時は処女だったが、そのあと夫とのセックスで性に目覚め、だが夫婦間でセックスレスとなったことが不満で風俗で働くようになった、と本の中では推測されている。不倫をすると夫婦間でセックスレスになることが多いので、「セックスレスになったら不倫を疑え」という格言も提示されている(1157)。

 他に、「不倫相手はどういう人物が多いのか」というデータも面白い(869)。不倫は会社で起こることが多く、全体の50%以上を占める。接点が多いから不倫のきっかけが生じやすいということだろう。

 

伊岡瞬『代償』

代償 (角川文庫)

代償 (角川文庫)

 

  罪を犯した人間には更生の機会があるべき、という意見がある一方で、他人を傷つけ喰い物にすることでしか生きていけないのではないかと思うような人間がこの世にはいる。『代償』はそういう邪悪な人間のターゲットにされてしまった人々の話。

  雫井脩介『火の粉』みたいに、主人公の退屈だが平穏な生活の中に異物が徐々に浸透していく感が不気味。「達也」とその家族がいつのまにか主人公をコントロールする側になっていて、主人公が逆らえなくなっているのがホラー。

 

伊岡瞬『痣』 

痣 (徳間文庫)

痣 (徳間文庫)

 

  『代償』つながりで伊岡瞬の別の作品も読んでみる。

 バディの刑事もので、いわくつきの先輩刑事と真面目な後輩刑事という定番な組み合わせ。でも個々の背景がほどよく掘り下げられているので、キャラクターの魅力はしっかり出ている。

 一方で、ストーリーはあんまり。犯人の犯行動機が弱すぎる。

 サスペンス系のミステリーにはよく、ラストで「よく僕が犯人だということが分かったね」とか「何でお前を殺すのか、いまから説明してやるよ」みたいなセリフを言っちゃうリアリティ皆無のサイコパスな犯人が現れて、派手なアクションを見せたあと自殺or逮捕、というパターンがある。上に挙げた『天使のナイフ』もそう。

 この小説もそのパターンで、最後の急なサイコパス犯人の登場で、それまでの地に足のついた物語がぶっ壊される感があった。