『Witcher3』レビュー 「オープンワールドRPG」と「ストーリー重視」の両立
今更だがWitcher3をレビュー。
【プレイデータ】
・買った場所: Steam
・価格: 1980円(Game of the Year Edition、70%OFF)
・プレイ時間: 94時間
【好きなところ】
・没入度の高いストーリー
・妥協のないサブクエスト
・美しい風景
【嫌いなところ】
・メインクエストはやや中だるみ
・操作性の悪さ
『Skyrim』をプレイして「面白いけど、なんか違う」という思いを抱きつつ、次にプレイしたのが『Witcher3』。そしたら心を撃ち抜かれた。これこそ自分が求めていたRPG。これこそ自分が求めていたオープンワールドと思った。
『Skyrim』の不満点は「ストーリーの作り込みの浅さ」と「質の低いクエスト群」。『Witcher3』はその不満への完璧な解答といえるゲーム。メインの物語の質が高いのはもちろん、サブクエスト群の作り込みも素晴らしい。
雰囲気はジョージ・R・R・マーティン『氷と炎の歌』に似たダークファンタジーで、苦味のあるストーリーとクセのある登場人物、凝ったセリフ回しが特徴。
このゲームは「オープンワールド」と「ストーリー重視」という、両立しづらい要素を両立させている。
オープンワールドのRPGは通常、主人公のキャラクターはなるべく希薄にして、プレイヤーの想像の余地を残すのが定跡である。なぜなら、オープンワールドは「プレイヤーが自由に冒険できること」がウリであり、かつRPGとは「特定のロールをプレイするゲーム」だからである。プレイヤーは自分が操作するキャラクターの設定を自分の脳内で作り込み、そのキャラになりきりながら気ままに世界を冒険する。メインのクエストがあったとしても、それに縛られる必要はない。「世界を救う勇者」にもなれるし、「街のコソ泥」にもなれるのがオープンワールドRPGの醍醐味である。
それゆに、オープンワールドRPGでは、メインのストーリーの作り込みは浅いことが多い。それは第一に、オープンワールドでストーリーを作るのは主にプレイヤー(の脳内補完)であり、ゲームが提供するストーリーは補足的なものでよいこと、そして第二に、プレイヤーが操作するキャラクターはプレイヤーの脳内補完の余地を広く残すために個性が削ぎ落とされており、したがってストーリーに関わらせにくいからである。
例えば『Skyrim』でいうと、キャラクターの性別や種族や見た目は、ゲーム開始時にプレイヤー自身が設定する。つまり、主人公の個性を作り出すのはゲームの製作者ではなくプレイヤーである。だから、ゲームの製作者から見れば主人公は「無個性」な存在で基本的なプロフィールがないから、ストーリーには絡ませづらい。
そこで『Skyrim』では苦肉の策として、主人公は「ドラゴンボーン」であるという設定を設け、メインのストーリーになんとか組み込んでいるが、それも上手くいっているとは言い難い。なぜなら、主人公をストーリーにつなぎとめるのは「ドラゴンボーンだから」という一点のみだから。ドラゴンボーンに生まれたからという理由だけで英雄となって世界を救わなければいけないのは義務感が強いし、当然あっていいはずの「なぜ自分はドラゴンボーンなのか」という自問自答などはキャラクターの「無個性」を守るために存在しない。だから、プレイヤーは「ドラゴンボーンだから」という理由に説得力を感じられなければすぐにストーリーからは離れてしまう。それくらいにキャラクターとストーリーをつなぎとめる線は細い。
こうしたオープンワールド性を究極に体現しているのが『マインクラフト』で、あれはキャラクターの個性もストーリーもほぼ皆無で、すべてがプレイヤーに委ねられている。プレイヤーがキャラクターの個性を作り、世界を作り、物語を作るゲームである。
この、主人公の無個性さがストーリー作りの障壁となる問題を解消するために、同じくBethesdaの『Fallout4』では例外的に、冒頭で主人公にある程度の個性(結婚しており、子どもがいる)が付与され、「復讐」という明確な目的が提示されてプレイヤーがストーリーに入りやすくしている。でも逆に、そうした設定は「ロールプレイのしづらさ」になるので欠点ともなりうるし、実際にこのページでは賛否両論の一点として挙げられている。
では『Witcher3』はどうか。
主人公のGeraltのキャラクターは出来上がりすぎている。プレイヤーがキャラクターの設定に介入できるポイントはほぼない(どういう服装をするかと、髪型・ひげの剃り具合くらいは決められる)。プレイヤーが脳内で作ったロールをプレイする余地はほぼない。
では、RPGとして没入感がないかといえば、そんなことはない。むしろ、通常のオープンワールドRPG以上に、Geraltというキャラクターに感情移入し、Geraltというロールに入り込めるゲームになっている。
その要因の一つは、「Ciriを取り戻す」という目的が、チュートリアルを兼ねたオープニングで明確に設定されていること。Ciriを取り戻すという目的のもとで、Ciriの足跡をたどっているうちに、自然とGeraltに感情移入ができるようちゃんと設計されている。この目的設定はゲーム全体で徹底されていて、例えばロード画面で今のGeraltの状況をしつこいくらいに説明されるのもそのためである。Geraltというロールをプレイするための導線がオープニングから設けられている。
さらに、オープンワールドにGeraltの職業が噛み合っている。Witcherは魔物退治を専門とする傭兵である。だから、Geraltがメインクエストをそっちのけにして魔物退治に寄り道しても、何も不思議ではない。それがGeraltの本業であり、それで路銀を稼ぐ必要があるから。むしろ、Witcherというロールをプレイするうえで、魔物退治の寄り道は必然である。
『Skyrim』では、なんで街の人々が初対面の自分に対して子どものお使いのような依頼をひっきりなしにしてくるんだろうという違和感がずっとあり、ひょっとすると主人公は初対面の相手でもすぐに信頼してもらえる稀代のコミュニケーションスキルの持ち主なのかなと無理やりな脳内補完をする必要があったが、Witcherに関してはそうした違和感はほとんどない。オープンワールドで無数のクエストをこなすというゲーム性とキャラクターの目的が合致している。
Geraltのようなしっかりとした個性のある主人公でも、作り方次第では十分に没入感を高めることができるし、オープンワールドRPGのメリットを損なうことなく順応できている。逆に、むしろキャラクターが出来上がっているからこそ、セリフやグラフィックを作り込むことができ、読者がGeraltになりきるようなプレイ感覚を提供できている。
結局のところ問題は、「プレイするロールを誰が与えるのか」である。オープンワールドRPGの多くが「プレイヤー」にその役割を担わせたのに対して、『Witcher3』は「ゲーム制作者」がその役割を担うことを選択した。そのぶんゲーム制作者の負担は大きくなるし、プレイヤーへの配慮も随所で必要となるが、その結果『Witcher3』は独自のオープンワールドRPGの世界を生み出せている。
『Witcher3』のメインのストーリーはかなり長く、うんざりするほどに紆余曲折がある。だがそのなかでも特に秀逸なのは、VelenのBaron一家をめぐる物語である。
ことの発端は「行方不明の娘を探してほしい」という依頼で、単なるお使いクエストなのかなと思いきや、一家の抱える問題は実に根深くて、気づくと主人公もその泥沼にはまり込んでしまっている。ときにプレイヤーは難しい二択を迫られて、どちらを選んでも待ち受けている現実は苦い。このBaronのクエストだけでも、『Witcher3』が優れたRPGであることは十分に分かる。
『Witcher3』の長所はストーリーだけではない。とにかく景色が美しい。
特に、馬で道を走りながら風景を眺めるのが格別の味わい。このゲームはファストトラベルに制限があるので、「馬に乗る」機会がたくさんあるのだが、徒歩のスピードの遅さとの対比で乗馬の爽快感が際立っている。そして景色、とくに光の描写が美しいので、移動しているだけで楽しいし、世界に浸れる。
不満点は、メインクエストが中盤で「お使いの連鎖」となり中だるみすること。ウィッチャーは「怪物退治の専門家」なので、依頼を受けてお使いをこなすのは仕事の一環であり不思議はないのだが、ノヴィグラドでお使いが10連鎖くらいして、プレイ時間にして5時間くらい街を駆け回ることになったのにはさすがにウンザリした。たらい回しに次ぐたらい回しで、いったい自分は何のために何をしているのかが分からなり虚無感に襲われる。
また、操作性の悪さも目につく。壁を登る動作をするには壁に密着する必要があったり、水辺から陸に上がるときに異様にモタついたり、商人相手に商品の売り買いをするときにいちいち会話が入ったりなど、小さなイライラの種が結構ある。
落下ダメージが大きすぎるのも地味にイラつく。3階建てくらいの高さから落ちて即死するのはどうかと思う。そんな虚弱体質で熊とか倒せないだろと冷める。
ゲーム全体の出来は素晴らしいとしか言う他ない。
キャラの無個性化・ストーリーの希薄化が進んでいたオープンワールドRPGというジャンルに、ガチガチのキャラ設定・重厚なストーリーという、あえての先祖返り的な方向で突っ走った勇気。製作者の優れたバランス感覚が生み出した、まさしくオープンワールドRPGの金字塔。