つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

今月読んだ本 2020年9月

 

 

・福田ますみ『でっちあげ』『モンスターマザー』

 9/8のブログに感想を記載。

 

・「新潮45」編集部『殺人者はそこにいる』   

  タイトルがダサいが、こういう殺人事件のルポは好きなので読む。

 週刊誌に載った記事なので、内容の信憑性は疑いながら読む必要がある。さらに、「修羅たちは静かに頭をもたげ出す」「暗き欲望の果てを亡者が彷徨う」みたいなセンスの欠片もない章タイトルが読む気をゴリゴリに削いでいく。誰だこんなタイトルをつけたのは。

  ただ、葛飾区の無理心中事件の「自殺実況テープ」のルポは、これだけでこの本を買ってよかったと思わせるくらいの内容。死ぬ間際のテープの内容が壮絶で、今から死ぬ人間の言葉にしか出せない真に迫る感じがある。いちど自殺に失敗して、自分が撒き散らした糞尿でつるつると滑る床の上を這いずり回りながら、なんとか我を取り戻そうとしているさまをテープに向けて語る言葉の、虚無感がすごい。

 

・「新潮45」編集部『殺ったのはおまえだ』    

  「新潮45」の事件ルポシリーズの第2弾。

 あとから知ったのだが、この本はいちど販売差し止めになっている。正確に言うと、この本に収録されている「恵庭OL殺人事件」のルポ中の記述が名誉毀損だとして民事訴訟となり、地裁の判決で本の「販売差し止め」が命じられている(2007年1月)。それに対し新潮社側は控訴し、高裁では「名誉毀損は認める」が「販売差し止めは認めない」という判決が下った(2007年10月)。だから本屋でも買えた。

 新潮文庫の本はだいたいKindle版が出ているが、このルポのシリーズはまだKindle版が出ていない。なぜだろうと思っていたので、その原因が分かった気がする。

 内容は、第1弾に比べるとやや弱い。弱いというか、ノンフィクションとして書き方が誠実ではなくて、筆者の勝手な推測や内面描写が多い。裁判を起こされるのも納得の歪んだ視点。

 それでも印象に残ったのは、「附属池田小事件」の宅間守の父親の以下のセリフ。宅間守は強姦事件で捕って以後は、「精神病」を盾に逮捕を逃れてきた。父親は宅間守の危険性に気づいて以前から公的機関に訴えてきたが効果がなく、それを以下のように嘆いている。

その後はどんなにワシが奔走しても警察の理解者が尽力してくれても司法と精神医療の現場では高い壁が立ち塞がっておるのよ。“人権”っちゅう奴っちゃ。じゃがワシはあえて言う。“鬼畜”に人権いりまへん。いらん奴にいらんもんくれて、ややこしゅうしとんのが、ええ大学出のおっさんたちや。問題や事件が起こればそりゃ当然犠牲者が生まれるやろ。そちらの悲劇ばかりやが、ワシら“キチガイ”の家族はどうなんねん。そのずっと前から危なっかしいキチガイの一番近くでビクビクしながら暮らしとんよ。そこんとこもう少し考えて下さらんと、ワシらキチガイに“人権”蹂躙されとんや。(p. 44)

  

・「新潮45」編集部『その時 殺しの手が動く』   

  記憶に残るのは、稚内「冷凍庫」夫絞殺事件。妻が夫を殺して冷凍庫に入れ、4年半生活していた。その間、父親が誰か分からない子どもを自宅で出産し、生後2ヶ月で窒息死させ、ゴミ捨て場に捨てている。

 夫の殺害が発覚したのは、妻が引っ越しをするときに、冷凍庫を処分するのを忘れたから。不動産業者が部屋に残されていた冷凍庫の中身を見て警察に連絡し、事件が明るみになった。

 

野坂昭如『東京十二契』 

東京十二契 (文春文庫)

東京十二契 (文春文庫)

 

 十二「契」とあるので、12人の女性との恋愛話なのかと思ったが、そういうわけでもない。東京の12の場所についての思い出を語るという内容。

 暴風雨のような人生を送っている人で、文字通りアウトローなことも結構やっている。戦後、殺虫剤のDDTが一般家庭で使われるようになったが、そのときに石灰で薄めに薄めたDDTを売って大儲けしたという。

 CMソングの作詞で稼げるようになっても、稼ぐ以上に浪費するという破滅型の人間だからエピソードには事欠かない。恋愛系の話もあるけど、バッドエンドが多い。プレイボーイという印象だったが実はそうでないのか。あるいは著者があえてそういうエピソードを選んで語っているのか。

 『エロ事師たち』に書かれていたブルーフィルムの話は著者の実体験に基づくものらしい。野坂昭如はCMソングの作詞やテレビの音楽番組の作家をしていたが、スポンサーやディレクターを接待するときにブルーフィルムを活用していたという。

 

スコット・トゥロー推定無罪』 

推定無罪(上) (文春文庫)

推定無罪(上) (文春文庫)

 

 最高の法廷ミステリ。著者は元検事なので法廷での駆け引きの描写が素晴らしい。

 それ以上に素晴らしいと思ったのは、やけに内省的で、疲れ切った世捨て人のような目線で登場人物を掘り下げていく語り。例えば以下のような、サビッチが結婚生活で妻とうまくいなかくなるプロセスを書く文章は美しい。

彼女の献身的な愛情を一身に受ける瞬間は、わたしのささくれだった自我にとって快い鎮痛剤のようなものだ。だが、妻を嫌悪する瞬間がないといえば、噓になる。父親の怒りに痛めつけられて育ったわたしは、妻の黒いムードに対する自分の傷つきやすさを完全に克服することができないのだ。痛烈な皮肉で人の心をずたずたに引き裂く彼女の発作が起こると、絞め殺してやりたい衝動で手がむずむずするのを感じる。そういう時期の対策として、無関心を装う術を身につけたのだが、それが次第にたんなる装いからほんとうの無関心になりはじめた。こうしてわれわれはうんざりするようなサイクルをくりかえしていた。それは、双方とも永久に引き下がりつづけることによって位置を保とうとする綱引きレースだった。
Kindle版、No.3825〜)

 海外の小説にはたまに、どうしてそんなに冷徹に人間を書けるのだろうと思わせるものがある。この小説でいうとキャサリンやトビー・モルトの描き方がそう。その人の存在そのものを矮小化するような書き方で、読んでいて背筋が寒くなる。

 

志賀直哉清兵衛と瓢箪・網走まで』 

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

 

 志賀直哉がいま読まれない理由がわかる。自信満々で影が見えないのだ。

 「〜は好き」「〜は嫌い」をはっきり書けるのは、自分への自信がみなぎっているから。だから共感を集めない。自信満々な人間が書く日常生活の機微なんて誰も読みたくない。

 自分が学生の頃にはよく志賀直哉を読んでいた。芥川龍之介谷崎潤一郎が絶賛してるし、「小説の神様」とも言われているしで、ありがたい作品だと奉って読んでいた。でも今フラットな眼で作品を眺めると、意外とたいしたことがないというか、以前は無理やりその良さを探すように読んでいたのだと気づく。

 松本清張も『昭和史発掘』の「芥川龍之介の死」に書いていたが、結局いまでも読まれているのは芥川龍之介であって、志賀直哉ではない。当時の文壇で評価されたのは志賀直哉で、芥川龍之介は「今昔物語集のリメイクしてるだけなのになんで評価されてるの?」という声もあったようだけど、でも今でも多くの人の心を掴んでいるのは芥川龍之介である。かたや志賀直哉は日本文学の「古典」の中に名を連ねる一人として記憶されているにすぎない。自信が持てず影に怯えて生きるような人間が書く小説に、人は常に惹きつけられるということなんだろう。

 

・陳浩基『13・67』上 

13・67 上 (文春文庫)

13・67 上 (文春文庫)

 

  いろんなランキングで1位だったらしい海外ミステリ。書店で気になったので買ったが大ハズレ。

 なにがダメかは以下の引用を見れば分かる。

「まさか! こんなはずでは……。末期の肝臓がん患者に検案を行うなどありえない。ハッ!」王冠棠は大声で叫んだ。「おのれ! 仕組んだな! 罠にハメた、そうだな!」

 「ハッ!」

 

・岡田索雲『マザリアン』1-3

マザリアン : 1 (アクションコミックス)

マザリアン : 1 (アクションコミックス)

 

 『鬼死ね』『メイコの遊び場』に引き続き岡田索雲さんの漫画。時系列で並べると『鬼死ね』→『マザリアン』→『メイコの遊び場』という順らしい。

 よく分からない漫画だけど、私はギャグ漫画として読んだ。まず熊みたいな猫男がふつうに人と話している絵が面白い。あと、第1巻で野々宮が「フリマ」という言葉を聞いて「フリマ→フリーマーケット→flea market→flea→のみ」と連想して「自分はノミと混ざったんだ」と気づく場面も、連想力がおかしすぎて笑う。

 そもそも絵が面白い。見ただけで笑えてくるタイプの絵。伊藤潤二の漫画もそうだけど、絵そのものがコミカルな雰囲気を持っている。

 

・佐々木昇平『ガキジャン』1-2 

  『革命戦士 犬童貞男』の人の漫画。ギャグ漫画だけどかなりブラックなのがいい。

 第4話の自転車の乗り方を教える回と、第10話の野球のボールをお爺さんに当てちゃう回は特に面白い。

 

・佐々木昇平『サーマン』1-2 

  鮭の卵に人間の精子がかかって生まれたモンスター「サーマン」。同じ作者の『犬童貞男』もそうだけど、可愛げもかっこよさも皆無のクリーチャーが出てくる。

 

岩明均『七夕の国』1-4 

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

 

  再読。10年以上前に読んだことがあるけど内容をほとんど覚えていなかった。

 「謎」がたくさんある漫画。その一部は後半で解明されるけど、多くは分からぬまま。例えば、「能力を使うとなぜ体が変異していくのか?」「能力を使える人が数人しかいないのはなぜ?」「宇宙人は何が目的で人間に接触したのか?」など。

 そういう「分からない」を分からないままで放置していくのがおそらく作者の狙い。宇宙人が考えていることなんて分かりようがないから、人間は少ない手がかりでなんとなく推測するしかない。当然、その推測の中には人間の勝手な願望や希望が含まれている。頼之の最後の選択の理由も、「そうであってほしい」という願望が多分に含まれたものだった。

 

・魚豊『ひゃくえむ』1

 熱さと冷たさが同居している不思議な漫画。主人公はすごく冷めていて、もうひとりの主人公は逆に熱すぎる。その対比に妥協がないので読んでいて気持ちいい。セリフも印象的なものが多い。

 でも気になるのは、セリフの切れ味が良すぎて、人物と不釣り合いに見えてしまうこと。人物がセリフについていけてない。例えば「その手の人間は仮に一瞬栄光を掴んだとしても止まれない」みたいなセリフ、かっこいいんだけど、これを高校生が中学生相手に言うのか?とつい思ってしまう瞬間がけっこうある。いわゆる「人物とセリフが噛み合っていない」という問題。その点では上の『七夕の国』とは対照的。

 

・うめざわしゅん『ピンキーは二度ベルを鳴らす』

ピンキーは二度ベルを鳴らす

ピンキーは二度ベルを鳴らす

 

  すごくキザなことを言うけど体が極小の「ピンキー」というヤクザの話。この人の漫画は作りが細かくて、かなりの下調べの上で書いてるんだろうなと思う。JKリフレとか偽札の作り方とか。