つやだしのレモン

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アイリッシュ『夜は千の目を持つ』 行き当たりばったりの適当サスペンス

 

推測される当初の構想

 『幻の女』で有名なウィリアム・アイリッシュが、「ジョージ・ホプリー」名義で1945年に発表した長編。

 読めば分かるが、これはサスペンスというよりはファンタジー。より正確に言うと、サスペンスを書こうとしたけど、収拾がつかなくなった結果、ファンタジーっぽくまとめた作品。正直いって出来はよくない!

 推測するに、アイリッシュは最初はサスペンスを書くつもりだったのだろう。実際、最初はサスペンスの文法どおりに話が進むし、続きが気になる展開を見せる。でも、サーカスのライオンが脱走したあたりから雲行きが怪しくなり、「あれ……これまとまらないんじゃないか……」という読者の不安はラストで不幸にも現実とものとなる。

 たぶん当初の執筆計画では、「超常現象かと思ったら、実は緻密に練られた殺人計画だった」という筋書きの長編だったのだろう。実際、アイリッシュの短編にはそういう内容の話がある(例えば「ただならぬ部屋」とか)。だからこの長編も、そういうどんでん返しのサスペンスとして構想したと思われる。

 でも、書いているうちに収拾をつけるのが難しくなって、「超常現象かと思わせておいて、実は殺人計画でしたと思わせといて、やっぱり超常現象でした」というオチに仕方なく変えたんだろう。そうでないと、途中で警察が組織ぐるみで捜査を始めたり、ジーンの父親の死がアイリッシュお得意の「死まで残り○時間」形式で語られる理由がなくなる。警察が懸命に調査をする中で、少しずつ手がかりが見つかっていき、最後はショーンが真相を暴く、というのが自然なプロットだけど、あまりにも風呂敷を広げすぎて畳めなくなったので、最初から畳む気なんてなかったフリをした作品、それが『夜は千の目を持つ』である。

 そういう行き当たりばったりさが一番出てるのが、サーカスからライオンが脱走したところだと思う。読者も「これは本筋と関係ないんだろうなあ」と思いながら読んだだろうし、作者も「これをどうやって本筋に絡めればいんだろう」と思いながら書いただろう。このサーカスの顛末は、本当に謎。たちの悪いページ稼ぎとしか思えない。

 

この小説の(数少ない)いいところ

 とはいえ、この小説に魅力がないかというとそうでもない。この話、刑事のショーンやジーン・リードではなくて、預言者トムキンズの物語として見ると、けっこうもの哀しい。末尾に「頭のどこかに、一点の熱い火を燃やしていた農家のせがれ」(p. 433)という形容があるが、まさにトムキンズの生涯はその形容通り。身分不相応な能力を与えられた人間が、それゆえに苦しみ、苦しみぬいたすえに、自殺を選択する。特異な力を望まずして持った人間の悲劇としては読める。

 あと、妙にリアリティがある場面があって、そこはアイリッシュだなと思う。一番ぐっときたのは、ドブズとソコルスキーという2人の刑事が一緒にトムキンズの住むアパートに行くシーン。2人は「空き部屋を探している2人組」を演じているので、途中の「空き室あります」という掲示に立ち止まり、どうせ断るのに一応入って部屋探しをしているフリをする。トムキンズのアパートにまっすぐ行くのではなくて、その前にちょっと寄り道して2人の刑事の性格付けをするこの場面は本当に上手いし、リアリティもある。

 

アイリッシュで読むべき作品

 この小説の出来にがっかりして、アイリッシュにダメ作家の烙印を押そうとしている人は、ちょっと待ってほしい。これは明確な失敗作だけど、アイリッシュには今読んでも楽しめる作品もある。例えば長編だと以下。

・『幻の女』:日本ではこれが有名。アイリッシュの叙情性が一番出てる。

・『暁の視線』:正統派のサスペンス。

・『喪服のランデブー』:哀しみに満ちた名品。

 上に挙げたのは長編だけど、アイリッシュの本質は短編作家だと思う。短編に名作が多い。絶版だけど、創元推理文庫から出ていたアイリッシュ短編集(全6巻)のうち、『裏窓』『わたしが死んだ夜』『ニューヨーク・ブルース』は名作がそろっていておすすめです。