つやだしのレモン

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フィリップ・K・ディックを冷静に語る

 SF作家のフィリップ・K・ディックはコアなファンが多いので、なにかと神格化されがちである。ディックを語るときによく聞く「ペテン師のなかの幻視者」というレムの言葉も、ディックを特別視しすぎているように見える。

 ということで、以下ではディックという作家を冷静に分析してみる。

 

 

①ディックは「主流文学」を目指したが挫折した作家である

 ディックは当初、主流文学(純文学)で売れることを目論んでいた。

 作家として生計を立てることを決めてから、ディックは主流文学をいくつか書き、それを出版社に売り込んだ。しかし1作も採用されない。ディックは生活のために、主流文学を離れてSFというジャンルで作品を書くことを選ぶことになる。

 ディックが作家として活動を始めた1950年代は、SFというジャンルの地位は今よりずっと低かった。新しく生まれたジャンルに総じて言えることだが、社会的な認知度の低さやファンのコミュニティの未成熟が原因で、刹那的な娯楽として消費されやすい。当時のSFもその例に漏れず、文学の中では読み捨てられていくようなジャンルだった。

 ディックはSFへ転向し、そこで成功することになる。ただ、ディックには「主流文学では成功できなかった」というコンプレックスがあったらしく、インタビューで「自分は金のためにエンタメを書いている」と発言している。実際、SF転向後も、何度か主流文学に再挑戦している。

 

②ディックは「ヴァン・ヴォークト」のフォロワーである

 ヴァン・ヴォークト(1912-2000)は、1940〜50年代に活躍したSF作家。SFファンなら『宇宙船ビーグル号の冒険』や『非Aの世界』を知ってるかもしれない。エンタメとしてのSFを確立するのに貢献した一人であり、少し悪く言うなら「面白ければプロットもキャラも破綻してていい」を実践した人。

  ディックはヴォークトから強く影響を受けたことを明言している。例えばディックの最初の長編『偶然世界』は、まさにヴォークトのようなドタバタ劇で、奇妙な設定とめまぐるしい展開から成るエンタメSFである。

偶然世界 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-2)

偶然世界 (ハヤカワ文庫 SF テ 1-2)

 

  『偶然世界』についてのディック自らの解説は以下。

『偶然世界』を書いたときは、ヴァン・ヴォークトがお手本だった。意図的にそうしたのだから、べつに恥ずかしいとは思っていない。作家としてもひとりの人間としても、彼はわたしのヒーローだった。

(『去年を待ちながら』巻末「ディック、自作を語る」より)

 

 ちなみに、ヴォークトは自らの「執筆スタイル」として、以下のように語っている。これがなかなか興味深い。

800語ごとに場面を変える。一場面は必ず5つのステップで構成。

①読者にそこがどこかを分からせる。

②登場人物が何をしようとしているか、あるいはその場面が何のためのものかをはっきりさせる。

③その何かを成し遂げようとする過程を描く。

④それが達成されたかどうかを明らかにする。

⑤(物語が始まって間もないうちは)目的が達成されたにせよ、されなかったにせよ、なぜか事態はもっと悪くなってしまう。

(『非Aの世界』解説より) 

 「800語ごとに場面を変える」というのが、良い意味でも悪い意味でも合理的。

 ディック作品はどんどん場面が切り替わっていくのでテンポがよく読みやすい。これはヴォークトの「800語ごとに場面を変える」というスタイルを参考にしているんだろう。

 ディックが今でも読まれているのは、現代的なテーマを扱いながらも、それを小難しく語るのではなく、あくまでも「エンタメ」という衣で包んだから。だから読みやすいし、SF初心者でもつまずきにくい。

 

③ディックは「粗製乱造」の作家である

 ディックは作品を恐るべきスピードで生産した。まさしく「粗製乱造」。

 例えば、1953・1954年の2年間で、ディックは短編を58作書いている。ディックが最も多作だったのは1964〜67年の4年間で、この期間に長編を12作も出版している。1年に3冊ずつ。しかもこの期間には短編も約20作書いている。

 このように作品を量産したのは、金を稼ぐため。1961年に書いた『高い城の男』でヒューゴー賞を受賞し、ディックはSFの業界では名の知られた作家となる。その結果、長編を出版するたびにまとまった報酬を受け取れるようになった。

 だからディックは狂ったように書いた。後述するが、ディックは私生活が破天荒で(5度離婚)、金遣いも荒かった。だから生活のために金を稼ぐ必要があった。

 当然ながら、作品を乱造すればクオリティは下がらざるをえない。ディック本人の言葉を借りれば「クズ」が増えていく。

 ためしに、『未来医師』(1960)についてのディック自身の評価を見てみる。

こいつはただのクズだ。金をかせぐためだけの小説だ。このころのSFなんて、みんなそういうものだったんだ。読者はごく限られていて、アイデアは使い古されたもの。技術は皆無。ほんとうにすぐれた作家は、こんなジャンルにはやってこなかった。

(「ディック、自作を語る」より) 

未来医師 (創元SF文庫)

未来医師 (創元SF文庫)

 

  ディックの自作評は面白い。以下は『ザップ・ガン』についてのディック評。

いつも最高のものを書こうと心がけているんだが、才能に火をつけてくれる聖なる炎が燃え上がらない場合もある。そうすると、『ザップ・ガン』みたいなクズができてしまう。

前半はまるで読めた代物じゃない。前半分を書いたとき自分がなにを考えていたのか、見当もつかない。前半分はまったく理解不能だよ。

(「ディック、自作を語る」より)  

ザップ・ガン (ハヤカワ文庫SF)

ザップ・ガン (ハヤカワ文庫SF)

 

  『ザップ・ガン』のあらすじを簡単に紹介しておくと、「兵器ファッション・デザイナーのラーズが、トランスで霊感を得て武器のデザインを思いついていく話」。

 これだけ聞くと「読めた代物じゃない」と思うかもしれない。でも、実際に読んでみると面白いのだ。ディックの自作評は信頼できないところがあって、先入観をなくして読んでみると楽しめるものが結構ある。

 

④ディックは「ドラッグ」に縁のある作家である

 ディックはドラッグユーザーで、アンフェタミン覚醒剤)を常用していた。多作のディックを支えたのはドラッグの力である。

 ただディック自身は、晩年のインタビューで「自分はアンフェタミンに耐性があったので、ドラッグの効果はなかった」と言っている(『フィリップ・K・ディックの世界』)。けれどもこれは晩年のインタビューなので、どれくらい本当のことを言っていいるのかは定かではない。

 ディックの私生活は破綻気味だった。5度の離婚を経験し、自殺未遂を2度している。1970年に、4人目の妻であるナンシーに愛想を尽かされ、ひとりになったディックはドラッグに溺れていく。ディックの家はドラッグ常用者の若者たちの溜まり場となり、生活はすさんでいく。このときの経験は『スキャナー・ダークリー』に書かれている。

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

 

 ディックがたびたびテーマとする「不確かな現実」も、ドラッグ経験に拠るところが大きいだろう。目の前の現実が実は本当の現実ではなくて、実はその背後に別の現実があるというのは、幻覚系ドラッグを連想させる。

 ディックの小説の中には、ドラッグを使って見た幻覚をそのまま書いたんじゃないかというようなものがある。例えば『銀河の壺直し』。原題は“Galactic Pot Healer”(pot=大麻)。

 

⑤ディックは「キャラクター」よりも「アイディア」を重視する作家である

 ヴォークトの影響を受け、かつ短編小説から出発した作家ということで、ディックは「アイディア」を重視する。ほとんどの作品でキャラクターの個性は弱く、プロットのなかで動かされる駒に過ぎない。

 ディックは短編と長編について、「短編にはアイディアが絶対に必要だが、長編はスタイルで書ける」と述べている。ただ、ディックの長編は短編をつなぎ合わせたものや、短編のアイディアを拡張したものがいくつかある。基本的な執筆スタイルは「アイディア重視」と考えて間違いない。読者を作品世界に引きつけるような奇抜なアイディアがなければ、当時のSFは読んでもらえなかった。

 ディックは経済的な理由で短編から長編へと主戦場を移すが、作家としての才は短編にあったように思う。長編は総じて粗いのに対して、短編は優れたアイディアをすっきりとまとめているものが多いからである。だからディックは「短編SF」の名手として捉えるのが正確かもしれない。

 ディックが主流文学で成功できなかったことも、このアイディア重視の創作スタイルに原因があるのではと推測する。ディックが主流文学として書いた小説(『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』『あなたを合成します』など)を読んでも、キャラクターは人間性に乏しく、それをアイディアでなんとかしようとしているのだが上手くいっていない。

 

⑥ディックは「私生活を作品に盛り込む」作家である

 ディックは作品内に、私生活での実体験を意外なほど盛り込んでいる。例えば以下。

・主人公がレコード店店員(ディックは作家になる前にレコード店で働いていた)

・主人公がアクセサリーの仕事を始める(『高い城の男』、ディックは妻アンのアクセサリー作りを手伝った経験がある)

若い女性の肉体的な魅力に負けて不倫をする(『火星のタイムスリップ』など多数、ディックは5度の離婚経験あり)

・主人公が麻薬を服用する(ディックはアンフェタミンの常用者だった)

 

⑦ディックは晩年に「奇妙な事件」にまきこまれた作家である

 ポール・ウィリアムズの『フィリップ・K・ディックの世界』という本の中に、ディックへのインタビューが掲載されている。だが、その内容がいろいろとおかしい。

フィリップ・K・ディックの世界

フィリップ・K・ディックの世界

 

  特に「住居侵入事件」についての内容が奇妙である。この住居侵入事件は、ディック自身が衝撃的な出来事として語っているのでファンにはお馴染みの話で、1971年11月にディックの外出中に自宅が荒らされたという事件である。

 彼はこの侵入事件を「軍の手先」による犯行と推測している。理由はいろいろ語っているが、『最後から二番目の真実』(1964)のなかのアイディアが軍関係者を刺激したからだという説を繰り広げている。小説の中の神経ガスのアイディアや、アメリカとソ連の戦争下で国民が地下に閉じ込められるというストーリーが「危険」という理由で、ディックの書類を盗み出そうとしたのだと。

 とんだ妄想であり、この一節を最初に読んだとき、ジョークとして語っているのかなと思った。でもディック本人は大真面目なのが恐ろしい。

 住居侵入事件は、ディックの家がドラック漬けの若者たちのたまり場になっていた時期に起きた。事件の後、若者たちは恐ろしくなって、ディックの家には寄り付かなくなったという。

 インタビューの内容や、この事件以降のディックの作品を読む限りでは、このあたりから、ディックの精神が不安定なほうへ傾いていったように見える。住居侵入事件以外にも、様々な「神秘体験」について語るようになり、それをベースに小説を書いたりしている。