つやだしのレモン

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本陣殺人事件

 横溝正史 『本陣殺人事件』 (角川文庫)


○概要

 金田一耕助シリーズの初頭を飾る作品であるとともに、日本初の「本格」推理小説として有名です。推理小説において「本格」を定義するのは難しいですが、「事件の真犯人を、ぼんやりとでも断定できるだけの材料が、本文内で提示されている」っていうのが私の個人的なイメージです。エラリー・クイーンの国名シリーズとかアガサ・クリスティーポアロ物なんかは「本格」でしょう。「誰が犯人なのか」と思案しながら本を読むのが楽しくて、中高生のころは貪るように推理小説を読んでいた記憶があります。

 『本陣殺人事件』で特徴的なのは、「日本」を舞台とした本格推理小説を書いている、という点です。推理小説のトリックにはそれまで様々な要素が使われていましたが、日本の伝統や風習をトリックの道具・舞台設定として大々的に推理小説に持ち込んだのはこの作品が初めてだと聞きます。作品全体に漂う雰囲気は日本独自のもので、妖しく閉鎖的な田舎のイエの因習が物語を盛り上げます。

 以下、少しネタバレ









機械仕掛けのトリック

 「直感的に分かりやすい」トリックが私の好みです。それまでモヤモヤと絡み合っていた大小様々のデータ群が、たった一つの事実によってきれいに解されてエンディング、っていうのが理想の推理小説です。クリスティやクイーンの作品が魅力的なのは、この「直感的な分かりやすさ」を追求しているからでしょう。

 その点、『本陣殺人事件』のトリックは複雑すぎです。私は中学生の時にこの小説を初めて読んだのですが、映像がまったく頭に浮かんできませんでした。今回、再読する際には付されている見取り図を何度も見返しながら読み進めていったのですが、それでも満足できるほどには理解できず。なにぶん「日本家屋」の構造を使ったトリックなので、それに馴染みのない私にはどうも相性が悪いのでしょう。

 この作品は何度か映像化されているようなので、そちらを先に見ていたら少しは違ったのかなとも思います。ただ、それでもこういう機械じかけのトリックはどうも好きになれません。これだけ複雑な舞台装置を用意してまで行う殺人事件にリアリティが感じられない、というのがその理由。

 したがって、私の中では金田一シリーズといえば『獄門島であり悪魔が来りて笛を吹くであり悪魔の手毬唄でして、『本陣殺人事件』にはあんまり良いイメージはありません。殺人の動機と、作品全体の雰囲気は好きなんですけどね。



○田舎の因習を晒し出すことへのゴシップ的な興味

 隠されている因習を暴く、というのが横溝作品のテーマであるならば、それを無我夢中で読む我々の脳の奥底には、その因習が暴かれることへのゴシップ的趣味があるのだと思います。横溝正史の作品群には不思議な吸引力があって、同じような作品でもいつの間にか夢中になって読んでしまうのですが、そこには他人の生活を覗き込むことの快感や、日本の古いしきたりに縛られて凶行に走る人間への興味があるに違いありません。

 金田一耕助モノの第一作である『本陣殺人事件』でも、その怪奇趣味ともいえるような日本の伝統・風習が盛り込まれています。幾重にも塗り重ねられていく因縁と因習によって物語の雰囲気は妖しさを増していき、常軌を逸するような登場人物の行動にも不思議と説得力を感じてしまいます。その際たるものが「殺人の動機」です。「婚約相手が処女じゃなかったから殺し、自分も自殺した」。フォークナーの『響きと怒り』を彷彿とさせるような古臭い考え方ですが、「そういう人もいるかもしれない」と思ってしまうぐらい、作者の筆運びは見事でした。

 以下、印象に残った箇所の抜粋。

 こういう周囲の反対に対して、では、賢蔵はどういう態度で応酬したかというと、終始沈黙の一手だった。反対に対して反駁するような事は絶対にやらなかった。しかし結局水は火に勝つ。反対者はしだいに呼吸が切れ、声がかすれ、足並みが乱れ、最後には苦笑いして肩をすくめながら、完全に自分たちの敗北した事を認めなければならなかった。

 「これは悪意と憎しみにみちた、ふつうの殺人事件なんです。自殺が目的じゃないのですからね。……(中略)……犯人が自殺していたからって、この事件を軽く見るのは間違っていると思う。犯人はあくまで克子さん殺しを自分のせいでないように見せかけているのですし、更に自分の自殺でさえも、自殺でないように見せかけているのですから、悪辣といえばいっそう悪辣ということが出来ると思う」