つやだしのレモン

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獄門島

 横溝正史 『獄門島(角川文庫)


○印象・感想

 1948年発表。金田一耕助シリーズ屈指の傑作にして、横溝正史の代表作。ミステリの重要ポイントは「舞台設定」「トリック」だと思いますが、本作はそのどちらも最高レベルの作品です。さらに、日本語独特のフレーズが生む錯覚や、俳句に沿った見立て殺人など、随所に「日本らしさ」が表現されており、翻訳ミステリでは味わえない和風探偵小説を堪能することができます。

 読むのは3度目でしたが、色褪せることのない傑作でした。
 以下、ネタバレ注意


○美しさとグロテスクの絶妙なバランス

 横溝正史の和風探偵小説で魅力的に感じるのは、その舞台や登場人物の設定がまるで「異質」であるという点です。執筆当時では日常にすぎなかったことかもしれませんが、21世紀の今になって読むと「こんな時代があったのか」と嘆息してしまうような、キテレツな設定に遭遇することが多いです。そういう、昭和性を強く感じさせるような要素がふんだんに盛り込まれているために、正史作品にはまるで山奥のうら寂れた日本家屋に忍び込むかのような、不思議な背徳と怪奇趣味があります。

 『獄門島』は特にその要素が美味く混ぜ合わされており、日本的な美しさとグロテスクとが絶妙なバランスを保って見事に作品を彩っています。瀬戸内海に浮かぶ孤島、閉鎖的な住民、対立する旧家、根強い勢力をもつ寺院……。これらの設定だけで私たちは酔いしれ、日常から離れて違う世界へと連れ去られたような強烈なイメージを植えつけられることになります。そして、それに拍車をかけるかのように登場するのは、座敷牢で怒号をあげる狂人、理性を欠いた美人三姉妹、腰の座った老僧などなど、一癖どころではない強烈な個性を備えたキャラクターが勢ぞろいするに至って、舞台は完璧に整えられます。

 何より素晴らしいのはトリック。とりわけ、「気ちがいじゃが仕方がない」というフレーズの謎とその解明は絶品です。今まで様々なミステリを読んできましたが、このフレーズの謎解きほど背筋がゾクリとしたものはありませんでした。耕助が最初にその言葉の真意を尋ねたとき、和尚が手で顔を覆い隠すという場面がありますが、その意味が明らかになったときの衝撃は未だに覚えています。



○ラストシーンの美しさ

 最後の場面、事件を解決した耕助は艀に乗って島を去ります。忌まわしい事件を洗い流すかのように、島には静かに霧雨が降り始めています。凄惨な記憶を植え付けた孤島を背後に残して、船は緩やかに海面を滑っていきます。そのとき、島からゴォーンと低い音が。寺の若僧が、餞別に鐘をついてくれているのです。鐘の音が流れる中、耕助が振り返って島を見、そこでゆっくりとカメラがズームアウトし、島の全景を写してフェードアウト。これが私なりのラストシーンの映像イメージです。

 このラストシーンはたいへん印象に残っています。登場人物が語る言葉は少ないですが、そこには言葉に出来ない色々な感情が滲んでいて、実に情緒に溢れています。鐘の音を背後に島を去るなんて、こんなグッとくる場面はないでしょう。個人的には、ル・カレ『スクールボーイ閣下』の最後、ウェスタビーが殺されて海岸に骸となって横たわる場面と並んで、記憶に刻み込まれるほどに深い余韻を残すラストシーンです。