つやだしのレモン

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フィリップ・K・ディック『いたずらの問題』

 フィリップ・K・ディック『いたずらの問題』(大森望訳、創元SF文庫)

●メモ

  • 不思議な話。物語の掴みが巧い。小説世界の情報を小出しにして、読者の興味を引きつつ、ストーリーは予想しにくい方向へと脱線させていく。このような巧い小説を読むと、ディックのストーリーテラーとしての側面にも気づかされる。
  • ディックの小説には、「主人公が今まさに生きている世界」とは別に、「もう一つの世界」がよく登場する。『いたずらの問題』で言うと、モレクのない世界がそれにあたる。そして、これもディックの小説の特徴の一つなのだが、主人公が「もう一つの世界」を体験することで、「それまで生きていた世界」の価値は揺らぎ、相対化される。けれども、主人公がその世界を見捨てることは決してなく、むしろ、そのような相対化された世界でいかに生きるかに焦点が当てられる。
  • 既成概念と時代遅れの制度で縛られた世界を打破し、新たな世界を作り直すのは英雄的行為だが、ディックの小説の主人公はそのような英雄ではなく、あくまで小市民的な人物である(とはいえ、有能なサラリーマンであることが多いが)。理想とはほど遠い今の世界を壊そうとするというよりは、そのような世界でも何とか生きていこうとすることに重点が置かれている。だからこそ、ディックの小説は脱線的で、読者の予想を裏切り、些細なことにこだわっていく。
  • ブロック集会での匿名による糾弾。集団によるサディスティックな個人攻撃という構図は、まさしく現代のインターネットの突発的炎上システムと同じである。天才は未来すらも見通せるのか。「個性を欠いた“正義”の声」なんて、明日からすぐに使いたいぐらいの鋭利なフレーズである。