つやだしのレモン

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813

 モーリス・ルブラン 『813』『続813』 (新潮文庫


○印象と感想

 「アルセーヌ・ルパン」シリーズの中でも屈指の名作と名高い『813』。大富豪ルドルフ・ケッセルバックが掴んだ「ヨーロッパを揺るがす秘密」を巡り、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンと謎の殺人鬼“L.M.”が死闘を繰り広げる冒険活劇です。そうまさに「冒険活劇」という言葉がぴったりの壮大で豪快な物語です。

 頭脳明晰かつ驚異的な身体能力をもつルパンはまさしく超人ですが、そのルパンと対比的に描かれるL.M.が実に不気味です。実体が掴めないだけでなく、警察やルパンの追跡を巧みにかわしていきます。陰にこもって細身の短刀を舌で舐めている痩身の男。常に暗がりの中に身を潜め、その身体を捕まえたと思った瞬間にはヌルリとすり抜けて姿を消してしまう。ラヴクラフトの小説に出てくる怪物のような「人外」っぽさを漂わせる敵です。

 このL.M.はいったい何者なのか? なぜ人殺しを繰り返すのか? この謎こそが『813』の主題でして、「813」という文字列の謎はそんなにフィーチャーされてません。でもそんなことは気にならないぐらいにグイグイ読者を引っ張っていく名作です。



○ビスケットを齧るルパン

 この小説の白眉は、上巻の後半でルパンがアルテンハイム男爵と会食をする場面でしょう。ルパンを毒殺しようと、男爵は毒を仕込んだビスケットを差し出しますが、ルパンはその企みをすぐさま看破。ビスケットを男爵のペットの犬の前に放り投げ、毒を食らって絶命する姿をじっと鑑賞し、男爵に「弱虫め!」と罵倒した後、優雅な動作で毒入りビスケットをペロリと平らげてしまいます

 こういう破天荒すら、「ルパンだから大丈夫」という一言で済んでしまうのが凄いところ。平凡な小説であれば「実はこっそりと血清を飲んでいた」とか「手元のビスケットとすり替えてそれを食べた」みたいなコソコソしたトリックを持ち込んでくるのでしょうが、ルパンは「ルパンである」という条件でオールクリア。毒すらも効かないという設定をすんなり読者に受け入れさせてしまう点に、この小説が広げた風呂敷の大きさを感じます。