つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

駕籠真太郎『異物混入』(青林工藝舎、2015年)

●作品メモ

  • 最近、世間で話題になった出来事がネタにされている。「壁ドン」「カップ焼きそばにゴキブリ」「マックのポテトに人の歯」「リア充爆発しろ!」など。こういうニュースはすぐに風化するので、あと1年もすれば理解できなくなるネタになりそうではある。
  • これだけ作品が並んでいると、駕籠さんの話の組み立て方のパターンが見えてくる。「鼻水」という短編の最後のコマには、「いつも通りのオチ」という自虐めいたコメントがあって笑える。

西野マルタ『五大湖フルバースト 上・下』(講談社、2012年)

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 上 (シリウスKC)

五大湖フルバースト 大相撲SF超伝奇 上 (シリウスKC)

●作品メモ

  • 絵がたいへん個性的である。輪郭が太い線で描かれていて、影が細い線でびっしりと描かれている。下巻の後半に、『両国リヴァイアサン』という、『フルバースト』よりも前に描かれた漫画が載っているが、その画風はとてもいい。全体的にデッサンがおかしくて、書き込みも過剰なのだが、一度見ただけで忘れないくらいのインパクトがある。『両国リヴァイアサン』の荒削りの絵が、次第に洗練されて『フルバースト』へと至ったのだと思うが、どちらのタイプの絵にも魅力があっていい。
  • アメリカ」で「大相撲」という、不思議な舞台設定で物語が進む。近未来、大相撲がアメリカを席巻し、国民的スポーツとなっていて、アメリカ出身の力士たちが日夜しのぎを削っている。中でも多彩な技をもち圧倒的な人気を勝ち得ているのが「五大湖」という四股名の力士で、この五大湖が最強の力士であるがゆえにもがき苦しむさまが描かれている。
  • 独特な画風に、独特な舞台で、たいへんいい匂いをさせている漫画なのだが、物語自体は少年漫画のノリで進んでいくので、少し拍子抜けするというか、私の中で期待していたものとのミスマッチがあった。「超一流のスポーツ選手の誇り」や「わが子との意思のすれ違い」など、ストーリーは少年漫画の王道を走っていく感じで、キャラクターも「ドクター・グラマラス」というブロンドの美人科学者や、スパルタ教育で息子をしごく「理事長」、父親に愛されないがゆえに自閉する「クリス」など、こちらも王道をひた走っている。
  • 絵柄が独特で、話の雰囲気も異質だったので、『シグルイ』のような、半ばぶっ壊れている物語を期待していた。もっと常軌を逸していてもいいタイプの画風だと思う。絵柄と物語が、やや噛み合っていないようにも見えた。あと、こういうストーリーならば、表紙はこんなオシャレな感じを出すのではなくて、もっと分かりやすいものの方がよかったのでは。色遣いが渋くてかっこいい表紙なんだが、このテイストだと中味を誤解する人も多くいると思う。

今敏『OPUS 上・下』(徳間書店、2011年)

OPUS(オーパス)上(リュウコミックス) [コミック]

OPUS(オーパス)上(リュウコミックス) [コミック]

●作品メモ

  • 学研の『コミックガイズ』という雑誌に連載されていたが、雑誌の休刊によって未完成で終わった作品。今さんの没後、最終話の原稿が発見され、それを収録して単行本化された。
  • 「メタで遊ぶ」作品なので、マジックを見るような楽しさがある。絵はうまいし、漫画という形式を生かした工夫が随所にあって面白い。ただ、形式面で遊び過ぎているせいで、キャラクターの性格がどうしても無機質に感じられてしまって、物語を楽しむような楽しみはない。本当に、マジックを見ている感じに近い。今敏さんが監督を務めた『千年女優』にも、これと同じような印象をもったし、ピンチョンの『競売ナンバー』を読んだ時も同じだった。とても楽しいんだけれども、なんか物足りなさを感じる。クロスワードパズルを解いたあとの空しさにも似ている。
  • そんな無機質な物語だが、最終話だけ、人間臭さが滲み出ている。雑誌の休刊で漫画が実質的に打ち切りとなり、作者=今敏がやる気をなくしてふて腐れている場面が描かれているのだが、そこで作者が本音をぶちまけて暴言を吐いているシーンが、ひじょうに人間味に溢れている。このような、人間の少し嫌な部分が描かれていると、グッとリアリティが増して、キャラがキャラらしくなっている。全部を放り投げて強引なラストだけれど、この終わり方はこの作品の終わり方としてはベストだと思う。

新井英樹『なぎさにて』

  • 新井英樹さんのスペリオールの新連載。スペリオールを手にとったときは、表紙のイラストが新井英樹作とは気付かなかった。ぱっと見、ファンタジーもののイラストだし、女の子も今風の整った顔立ちなので、別の漫画のイラストかと思った。こういうキャラも描けるのか!
  • 女性が主人公というのは、新井漫画史上初? 名前は「渚」。第1話を見る限りは、普通の高校生っぽい。「普通」というのは、キーチや石川凛のようにイカれていないという意味での普通。
  • 主人公一家は、何か問題を抱えていそうな家族。主人公の渚、弟の大地、母、父、祖母という家族構成。渚が意中の男子に告白している現場に居合わせている、ホームレスっぽい老人が、この後の物語に非常に絡んできそう。
  • 世界の終りがすぐそばまで迫っている、という設定は、ネビル・シュート渚にて』という同名の小説と同じ。トラックの荷台に乗っていた男が歌っていたのは、Skeeter Davis の"The end of the world"という曲らしい。

 

逆柱いみり『空の巻き貝』(青林工藝舎、2009年)

空の巻き貝

空の巻き貝

●作品メモ

  • Wikipediaによれば、つげ義春の「ねじ式」に影響されて漫画家になったらしい。この情報が正しいとすると、相当な変人である。「ねじ式」を読んで漫画家を志す、というメカニズムがよく分からない。
  • たしかに漫画は「ねじ式」テイストで溢れている。意味が分からないし、分かろうとする気も私にないので、読んでいて気楽である。無理に意味を与える必要がない読書というのは、こうも開放的なのか。
  • シュールなギャグが結構あって、ニヤニヤしながら読める。

ジョージ・オーウェル・川端康雄訳『動物農場 おとぎばなし』

動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)

動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)

●メモ

  • 解説にはソヴィエト批判のために書かれた本とある。『1984年』の元となった作品で、明白な共通点は多い。中でも、言葉の管理に対する批判意識は際立っている。
  • ブタは動物の中でも高い知能をもち、動物たちを指導する立場にある。当初、ブタたちは動物農場の経営を安定させるために計画を練り、他の動物たちに的確な指示を与え、動物農場は裕福とまではいかなくとも満足できる生活を実現していた。だが、ブタたち内部の対立が原因で、僭主独裁へと移行する。独裁者として君臨するナポレオンは粛清を開始し、豚以外の動物たちは奴隷のごとく使役されて命をすり減らしていく。

●独裁政治は衆愚政治

 「ソヴィエト神話の正体を暴く」ことを一つの目的として書かれた小説で、登場する動物たちは実在の人物になぞられられている。ナポレオンはスターリン、スノーボールはトロツキー、メージャー爺さんはレーニンという風に。当初は高い理想を掲げた政治家たちが、私利私欲を満たす快楽に溺れて権力の独占に腐心し、脅迫的な暴力による独裁制へ突き進んでいく、その様子が描かれていたことは解説に書いてある。ソ連を風刺するこの小説が、第2次世界大戦終結直後に出版されたということは驚くべきことである。

 ただ、今の視点からこの小説を読むと、「暴力に基づく独裁政治」を批判する本という単純な読み方よりも、「独裁政治の実現を許した国民たち」を批判する本だという読み方のほうに説得力を感じる。ナポレオンという貪欲な統治者に問題があるというよりも、そのようなナポレオンを独裁者としてのさばらせている他の動物たちの方に、より大きな問題を感じる。

 独裁政治が国民から熱狂的に支持されている場合がある。支配されている人間たちが、支配する人間たちの言葉によって惑わされている。いや、惑わされているという言い方は正確ではなくて、惑わされてしまうくらいに耐性をもっていない。最低限必要な知識を身につけ、政治の現場で何が行われているのかを知り、自分のスタンスを決めること。それが疎かにされれば、自分にとって気持ちのよいことばかり呟いてくれる人間の言葉を盲信し、それ以外の声を積極的に排除していく人々が生産される。独裁政治は衆愚政治でもある。

 だから、『動物農場』の中で糾弾されているのは、スノーボールやナポレオンなどの豚ばかりではない。文字の読み書きを覚えるチャンスがあったのに、そのチャンスを生かそうとしなかった動物たち、動物農場の七戒がいつの間にか書き換えられていることに違和感を覚えているのに、自ら声を上げようとしなかった動物たちにも注目しなければならない。むしろ、今この風刺小説を読むのであれば、そのように知ろうとしない人々を糾弾する小説として捉えることが、今の時代らしい読み方に見える。

【読書メモ】新井英樹『キーチ!!』『キーチVS』

キーチ!! (1) (ビッグコミックス)

キーチ!! (1) (ビッグコミックス)

●作品メモ

  • 『キーチ!!』は第6巻から怒涛の展開を見せる。第5巻までは、それ以降の物語に迫力をつけるための助走と言っていい。全9巻のうち、5巻分を助走に使うのだから、かなり贅沢な構成なのだが、物語の性質上これは仕方ないとも思うし、もっと削っていいとも思う。
  • 正直、前半は読んでいてかなりしんどい。幼稚園児のキーチが舌足らずな言葉づかいで叫ぶシーンのところは、まるで「わんぱくキーチくんの成長日記」を読まされているような気になる。前半で読むのを止めた人もかなりいるのではないかと思う。
  • 『キーチ!!』の主人公のキーチが、あまりにも神々しすぎる、無色透明すぎることに不満を持っている人は、その続編の『キーチVS』を読んでほしい。『キーチVS』は『キーチ!!』を助走として使って、さらに高いところへ跳躍しようとしている。『キーチ!!』よりもさらに政治色は増すし、現実の話題を取り入れているので読者との距離も近くなっている。
  • でもどちらの作品でも、キーチよりも甲斐の方が魅力的な登場人物だ。『キーチVS』で栗田冷蔵の社長の娘のマンションで、キーチと甲斐が合う場面でも、最初の甲斐のセリフ、

「10年や。出会うて 組んで 動いて ここまで……10年や。互いの目ぇに互いがな… 今日、今どう映っているかは… 重ねた時間をもってしても、計れん部分があるもんやて しみじみ思うわ」

 この後の長い長い甲斐の演説は、何度読み返してもいい。この漫画はむしろ甲斐の物語なんではないかとすら思える。『キーチ!!』でも、キーチが目立つ裏で工作を繰り広げたのは全て甲斐だったわけだし、その過程で自分の父親を切り捨ててもいた。キーチはその存在がカリスマすぎてあまりにも色がなさすぎるけれど、その対称で甲斐は人間的だ。