つやだしのレモン

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『何が私をこうさせたか』 不可解な人生を歩かされることへの困惑

 

・『不当逮捕』の記述

 本田靖春不当逮捕』の中に、朴烈事件の金子文子についての記述がある。『不当逮捕』を読んだ人は、この本も読みたくなるだろう。それくらい、『不当逮捕』の金子文子についての記述は心動かすものがある。

 私がこの本を読んだのは2017年7月。絶版だったので図書館で借りて読んだ。

 だがなんと、2017年12月に岩波文庫で復刊。「どうしてこのタイミングで?」と思いながら買った。

 そして今日、新聞で『金子文子と朴烈』という映画が公開されていることを知り、驚く。この映画、2017年6月に韓国で公開されている。岩波文庫から復刊されたのも、たぶんこの映画を受けてのものだったのだろうと今になって思う。

 

金子文子の「自伝」

 大正前後の日本は男性中心社会で、女性のライフコースとしては男性と結婚して子どもを産み家庭を築くのが主流だった。では、そのコースから外れた女性たちはどうなったのか? それを語るのが金子文子の「自伝」であるこの本である。

 あくまで手記であり、個人的な記録である。だからこれを安易に一般化することはできないのだが、それゆえに生々しい。なんて悲しい記憶なのだろう。この本を読んで胸につきあげるこの悲しみをどうすればいいのだろう。

 そしてこれを読んで思うのは、金子文子のように、疎外と抑圧の中で生きた人間というのは他にも結構いたであろうこと。でも、こうした手記を書けるのは、自分の経験を客観視する能力をもち、かつそれを言語化できるだけの能力を持つ人だけ。金子文子にはそれがあった。

 金子文子は23才で自殺している。この自伝や、彼女が判事の立松懐清に語った言葉を読む限り、彼女にとって人生とはただ苦しみばかりに満ちた不可解なものだっただろう。この自伝全体から感じるのは、そうした「不可解」な人生を歩かされることに対する、金子文子の困惑である。

 以下は、この手記のなかで最も印象に残った一節。

 でも私は何といっても子供だった。そんな苦しい目にあっていても、やはり外に出て遊びたかった。ある日も私は近所の子供と附近の土手下で遊んでいると、そこへ母がひょっくりと大儀そうな足どりでやって来て、私を呼びとめた。

 「なあに母ちゃん」と私が答えると母は力のない声で、そこいらに鬼灯の木がないかと訊いた。子供は親切である。みんなしてそこいらを探してくれた。そして容易にそれを直ぐ側の橋の下にあるのを見つけた。中にはとっくからそれを知っていて、それの大きくなるのを待っているものもあったのだが、自分でそれをひっこ抜いてくれた。

 「有りがとう」と母は言って、根もとからぽっきりと折って根を袂の中に入れて帰って行った。

 その夜私は、その鬼灯の黄色い根だけが古新聞にくるまれて、部屋の棚の豆ランプのわきに載せてあるのを見た。

 今から察すると、母は妊娠していたのだ。鬼灯の根で堕胎しようとしたのだ。