つやだしのレモン

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上田紀行『生きる意味』 「生きる意味」は本当に必要か?

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

 

 
 日本が経済成長しているときは、社会が示してくれるコースに乗っていればまずまずの人生が送れた。だから、「生きる意味」を考える必要があまりなかったし、「生きる意味」を考えて困ったとしても、年収は全体的に上昇していたから並以上の生活は送れた。

 でも経済成長に陰りが見えて、誰もが平均以上の生活ができるわけでもなくなったとき、人は「生きる意味」に直面せざるをえなくなった。すると、それまで社会に依存してきたぶん、人は「生きる意味」を前に考え込んでしまう。

 だからこの本は、これからの時代は、社会に規定されることのない、自分に固有の「意味」を持て、と訴える。それさえあれば自分は生きていけるというような、自分に固有の意味があれば、社会が押しつけてくる価値観から距離をおけると。

 でも、「それぞれ固有の意味を持て」という主張もまた、一つの押しつけに感じられてしまう。ひとりひとりが、自立した「生きる意味」を持つべきだとこの本は説くけれど、それは見方を変えれば自己実現の強制だ。「社会が用意したコースに乗れ」という命令が、「それぞれで生きる意味を用意し、それに沿って生きよ」という命令に変わっただけ。それぞれが生きる意味を持てということもまた社会の要求であり、「生きる意味を持つ」というコースに乗ることを社会が求めている。

 だから問うべきは、生きる意味を育んで自己実現をすることが、本当に必要なのかということ。「社会が用意したコースに乗る」ことと同じくらいに、「生きる意味を持つこと」は虚しさを招き入れるのではないか。そうした虚しさと付き合っていくためには、むしろ「生きる意味なんて持たなくていい、自己実現はやりたいやつがやればいい」という意識がいる。

 「生きる意味」についての議論は、田口ランディの対談集『生きる意味を教えてください』(バジリコ、2008年)が参考になる。この中で宮台真司は、現代を支配しているのは「自己実現至上主義」だと語っている。

 経済成長に陰りが見えた今、「仕事での自己実現」を万人に求めるのは厳しい。その代わりに登場したのが「自分の好きなことで自己実現せよ」という言葉。仕事に打ち込めない人は、趣味やスポーツで自己実現すればいい。仕事がすべてではなくて、自分が本当に熱中できるもの、このために生きたいというものを持てばいい。これは『生きる意味』の主張と同一である。

 だが、この「自分の好きなことで自己実現せよ」という言葉の背後には消費主義がある。仕事に熱中できないのであれば、せめて趣味やスポーツで資本主義のサイクルの中に常に身を置くべし、というのが「自己実現」の背後にある。社会がその構成員に自己実現を迫るのは、何らかの形で資本主義の輪の中に入ってほしいからである。

 そして、資本主義社会では万人が自己実現するのは不可能である。自己実現を果たして生きる意味を持てるのは一握りの成功者のみで、残りの大多数の人は虚しさから抜け出すことはできない。

 個人に「自己実現」や「生きる意味」を求めるのは社会である。でもその要求に応えられるのは一部の人のみだ。上述の『生きる意味を教えてください』ではこれをマルチ商法に例えている。

生きる意味を教えてください-命をめぐる対話

生きる意味を教えてください-命をめぐる対話

 

  だから、生きる意味の喪失という現実を変えるためには、個人に自己実現を迫るのではなく、そうした「自己実現至上主義」のようなものとは距離を置くことが必要である。自己実現を義務ではなく、一つの選択肢として見れること。

 「仕事でも趣味でも何でもいいので自己実現せよ」という要求に囚われるのではなく、自己実現そのものから距離を置くこと。今はこの考え方のほうが説得力を持っていると思う。