つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

Counter-Clock World

 フィリップ・K・ディック 『逆まわりの世界』(ハヤカワ文庫SF)


○概要

 SF作家フィリップ・K・ディックの1967年の作品。ディックが小説を濫造していた時代の作品であるため、SFとしての設定は完全に破綻しています。
 世界はホバート・フェイズ」なるものに突入して時間は進む向きを変え、未来が過去になり、過去は未来に姿を変えた。人々は日々若くなっていく。老人は一日ごとに精力を取り戻し、オジサンは青年に戻るのを今か今かと待ち受け、青年は幼児に、幼児は赤子へと若返る。行き着く場所のない赤子はかつてまどろんだ子宮へと帰っていく。そして、墓場で永遠の眠りについたはずの死者たちは一人また一人と目覚め始めるのだ。
 人々の食事は「食べる」のではなく「吐く」行為に変わり、出会いの挨拶は「さようなら」、別れの挨拶は「こんにちは」。書物は時の逆行によって姿を消していき、それを管理する図書館が一大勢力を築いている。それに対抗するようにして、ピーク教なる奇妙な新興宗教が黒人の間で熱狂的な支持を獲得し始めている。

 ただ、この小説において「時の逆行」は随分といい加減に作用しているようです。話す言葉がひっくり返っているわけではないし、ボールを投げれば投げた方向へ飛んでいく。時間の逆行という設定を厳密に守るのであれば、人々は過去に行った行為をテープの逆再生のように行わなければならないわけですが、それでは小説として成り立たない。だから、ディックは時間逆転を部分的に採用する、という、たいへんいい加減なことをやっています。

 普通、「時の逆行」をテーマにSFを書くのであれば、主人公が最終的にその逆行を元に戻すとか、「時の逆行」を上手く利用して敵を倒す、みたいな展開がありそうだが、そんな要素は一切ない。あくまでも時間逆転は設定にすぎず、ディックが書いている真のテーマは「夫婦問題」。主人公セバスチャン・ヘルメスは墓場から蘇った人々を世話する会社の社長で、かつては自分も墓から蘇生した男であり、年齢は40代後半、自分よりも20歳以上若い妻がいる。けど、トマス・ピークという新興宗教の教祖を蘇らせたことで、大きな事件へと巻き込まれていって……。ってなんじゃそりゃ。全く時間逆転の設定を生かしていない! ……が、これぞディックの真骨頂であるともいう。



○倦怠期の夫婦がかつての絆を取り戻すという、極めてSFらしくない物語

 話としては、「離婚の危機を迎えた夫婦が、不倫の経験を経て、やっぱり元の鞘におさまる」っていうもの。「それをSFで書く必要性あるの……」という疑問は一まず仕舞っておくとして、主人公のセバスチャン心の葛藤や、全身にぐっしょりと染み渡っていくような疲労はたいへんよく書けており、読ませます。

 「妻を見捨てることで、夫は妻から見捨てられる」。この構図はディック作品によく現われるもので、『火星のタイムスリップ』『去年を待ちながら』にも同様の内容が見られます。「見捨てたら見捨てられる」という考え方にディックは取りつかれていたのでしょうか。「見捨てる」ことはそれ自体に行為を伴わない受動的な選択だが、本質的には「裏切り」に等しい罪だ、というテーマはディックの作品中で何度も目にします。

 また、相変わらず妙にSFのガジェットに凝っているのも面白い。図書館司書アップルフォードが敵対する弁護士による破壊工作を「パープ」という一言で鮮やかに無効化する場面はたいへん印象的で、これぞSFという興奮があります。子宮に戻された胎児をさらに精子へと戻すためにセックスが必要だったり、子どもに若返った図書館職員たちが笑いながら襲い掛かってきたりと、常軌を逸した設定や場面も数多くあり、なかなかの名作でした。