つやだしのレモン

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グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』

○印象と感想

  • 落ち着いた筆致。登場人物にはその影までが書きこまれている。
  • スパイ小説というのは単なるジャンルの分類。ル・カレの小説のような騙し合いや情報戦はない。ただ淡々と小さな事件が動いていくだけ。
  • タイトルのヒューマン・ファクター(human factor)の意味は「人的要因、人的要素」。人間はミスをする生き物だが、そのミスを生み出すような要素のことをヒューマン・ファクターと呼ぶ。


○スパイの退屈な日常

 裏表紙を見ると「スパイ小説の金字塔」とあるが、この本は「スパイ小説」というジャンルで括るべき作品ではない。「スパイ」と聞いて私たちが思い浮かべるのは、ジェームズ・ボンドの煌びやかな活躍、あるいはル・カレの小説にあるような水面下で展開される高度な諜報戦だ。

 だがヒューマン・ファクターにはそのどちらもがなく、読者が対峙するのは、イギリス情報部の出世街道から外れた60歳前後の一人の寂しい男である。彼は一日中オフィスで机に向かい、アフリカから送られてくるつまらない情報を整理している。「スパイ」という言葉の香しさとは無縁の、ただのくたびれたサラリーマンに過ぎない。

 上司は自分よりも年下で、机を並べる同僚はいつもこの閑職の愚痴をこぼしている。臆病さと無関心とが適度に混ぜ合わされた性格、容姿は人並み、何か際立った特徴があるわけではない。あと数年で定年を迎える、どこにでもいそうな働きビトである。




○ほとんど諦めている

 主人公のカッスルは、人生について目的らしいものをほとんどもっていない。諦めの境地とでもいうべきものに達している。仕事に対して情熱があるわけでもなく、出世や経済的な成功を望んでいるわけでもない。一日一日を平穏に、コツコツとストレスを貯めながら過ごしていく真面目な男だ。

 といっても、老境に差し掛かった人間によくある、「成功を掴めなかった」という自覚がもたらす無気力さに憑りつかれてしまっているわけではない。カッスルはそもそも、物質的な成功を求めるようなタイプの人間ではないのだ。単に、今日という日が無難に過ぎればよいと思って生活している男である。

 だから、彼の臆病さと無関心は、その身体に沁みこんだ処世術のようなものだ。物事に深入りせず、常に一定の距離を保つことを心がける、野心のない素朴な人間。読者からすると、カッスルは、生れた時からほとんど人生を諦めている男であるかのように映る。




○黒人の妻と子ども

 そのカッスルを人生に繋ぎ止めているのは、彼の家族だ。彼の妻セイラは、南アフリカ出身の黒人女性で、カッスルがアフリカで諜報部員として働いているときに出会った。移民に寛容なイギリスにおいてさえ、白人男性と黒人女性の組み合わせは奇異の眼で見られている。

 さらに、彼らは一人の息子サムを育てているが、それはカッスルとセイラの間の子ではない。まだ幼いサムは、セイラが南アフリカにいたとき、カッスル以外の男性との交わりで授かった子だ。サムの父親である男性については、ほとんど言及されていない。

 サムはカッスルと血の繋がりをもたないが、戸籍上は実子として扱われ、カッスルもわが子のように愛情を注いでいる。そこに悪感情が入り込む余地は全くない。もちろん、過去に、夫婦間で何らかの衝突はあったのだろうが、小説内で描かれる彼らの生活からは、その全てが克服されて一つの平穏へと収束していることが読み取れる。幸福な家庭そのものだ。




○裏切り

 この小説が写し出すのは、長年に渡って隠され続けてきた「裏切り」である。なぜ男は裏切ったのだろう。命を落とすリスクを承知の上で、国に背くことを選択させたのは何なのだろう。だが、その理由について作家は口数が少ない。小説の中で今まさに起きている出来事はたいへん巧みかつ明朗に描かれるが、その出来事を引き起こす原因となったものについては断片的に語られるのみである。

 私たち読者は、主人公カッスルの回想と、脇役たちのセリフのうちから、「裏切り」の原因を拾い出していかねばならない。現在が過去の集積である限り、今は無数の記憶に支えられている。登場人物のセリフの大半は、核心に触れることなく表面を軽く撫でるだけだが、その乏しい情報源を手がかりに、私たちは過去を掘り出していくのだ。




○「わたしたち」

 平凡な中年男に「裏切り」という無謀な行為を選択させた原因は、小説の中ではっきりと描かれてはいないし、そもそもはっきりと描けるようなものではないのだろう。それでも、作家は作品の中に過去を埋め込み、そのおかげで登場人物は現実の私たち以上に現実らしく振舞う。

 その一例は、カッスルと家族の中にみてとれる。カッスルの黒人の妻と子どもは、カッスルと血の繋がりをもたない。肌の色は違うし、文化的な背景も同じではない。同じ家の中で暮らしていても、傍から見ればまるで違う世界の人間同士である。それでも、カッスルは自分と妻とを区別して考えてはいない。カッスルは、二人の黒人を、「あなたたち」とは呼ばず、「わたしたち」という呼称で呼ぶように気をつけている。

 この家族内の小さな取り決めの中に、どれだけの歴史が息づいているのだろう。読者は作家の見事な腕に舌を巻くに違いない。優れた作家は、何かについて語ることによって、そこでは語られていないことについて語るのだ。語られないことは、しばしば語ることができないからこそ語られないのだが、小説家はその矛盾を巧みに切り抜ける。語られていないことを前にして読者は黙るのではなく、かえって自由にそれを語ることができるようになっている。