つやだしのレモン

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『アンネの日記』をいまさら読んでみる

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

 

 

 『アンネの日記』。中学生・高校生のときに学校の推薦図書によく挙がっていたが、あいにく読む機会がなかったので、いまになってKindleで読んでみる。


 第二次世界大戦中の1942年、ユダヤ人のアンネ・フランクは、ナチスの追及の手から逃れるため、家族とともに隠れ家に移り、そこで約2年間生活する。日記は、その隠れ家でアンネがひそかに書き続けたものである。


 読んでみて驚いたのは、隠れ家生活についての日記なのに、悲壮感がまるでないこと。不自由な生活で苦しいことがたくさんあるだろうに、筆致はユーモアに満ちている。

 また、アンネについて、勝手なイメージで「明るくて素直で優しい子」と思っていたが、全然違う。ぜんっぜん違う。

 たしかに明るいは明るいが、性格はかなりひねくれていて、自信過剰であり、自分の本心を相手に向かって直球で投げつけるタイプである。突っ走るタイプの人間。でもだからこそ、日記の内容は鋭く、今読んでもすこぶる面白い。

 

◎自信過剰で、愚痴をこぼすアンネ 

 日記の最初は、大人への罵詈雑言で埋まっている。母、姉、おじさん夫婦、デュッセルさんたちへの不平不満が止まらない。彼らがいかに自分勝手で、子どもを「子どもだから」という理由で抑え込んでいるかについて、愚痴を書いている。

 両親については、その夫婦仲が冷え切っていることを指摘している。父親については共感するような筆致だが、母親に関してはかなり手厳しい。例えば以下の記述。

 ママとはあらゆる点で正反対です。ですから当然、衝突せざるをえません。ママの性格について、わたしの口から良いとか悪いとか言うつもりはありません。それはわたしの判断できることではないからです。わたしはただ、ママをひとりの母親として見ているだけですが、そういう目で見ると、ママはあまり母親らしいとは思えません。となると、わたしは自分で自分の母親役を務める必要がありそうです。(Kindle版、3753)

 14歳にしてこの達観。

 

 学校の友人に対する評価が辛辣でおもしろい。例えば以下。

 これまでヘローにはウルシュラというガールフレンドがいました。わたしも知ってますけど、すごくぐずな、ぼんやりした子で、ヘローもわたしと知りあってから、いままでウルシュラとのことでは、夢を見てただけだってことがわかったようです。どうやらわたしって、彼の目をさまさせる刺激剤の役目もあるみたい。人にはそれぞれ使い途があるのね。(437)

 

 驚くほどに自信過剰なのも、子どもの特権か。客観的に自分を見る目があるのに、自己評価の高さを隠そうとしないのは、それだけ自分の能力に自信を持っていたからだろう。

 学校でのわたしは、どんな子供だったでしょう? しょっちゅう新しい冗談とか悪戯などを思いつく張本人。いつもお山の大将で、けっして不機嫌になることがなく、けっしてめそめそ泣いたりしない。みんなが競ってわたしと自転車を並べて通学したがったのも、みんなの注目がわたしに集まったのも、こうして見ると当然ですよね。(5545)

 

 アンネは人と接するときは快活でよく喋る。だから「軽薄な子」と誤解され、両親や教師から小言を言われることが多かったらしい。でも本当のところ、アンネにとっての「本当の自分」は、独りで思索に沈み、日記に思いの丈を書き綴る悩み多き少女だった。他人に見せていたのは、アンネの社交的な顔であり、本当は内向的な部分も持っていると自己分析している。だから、「軽薄な子」と捉える他者の視線と自己評価との齟齬に苦しんでいた。

 

◎恋をするアンネ 

 前半は大人への不平不満だらけだが、中盤から、おじさん夫婦の子どもであるペーターへの恋心をつづるようになる。

 そこからは甘酸っぱい。急に甘酸っぱい。ペーターへの恋心を、迷いながら、でも本心を打ち明けることを楽しむようにして書いている。自分が恋していく過程を、こんなに冷静に、でも情熱的に、14歳の女の子が書けるものなのか。書き手としての才能に驚く。

 途中でアンネは、姉のマルゴーもペーターに好意を持っていて、自分はそれを邪魔しているのではないかと思う。でも、マルゴーはそれを否定して、以下のように手紙でアンネに言う。これがなかなかひどくて笑える。

 それはともかく、はっきり言えるのは、ペーターとはどっちにしろそう親しくはならなかっただろうということです。というのも、わたしがだれかといろいろなことを語りあいたいと思えば、そのひととはごく親密な、すべてを許しあえる仲でなくちゃならないと思うからです。こちらが多くを語らなくても、相手はこちらの気持ちをとことん理解してくれている、そう思いたいのです。となると、その相手は、わたしよりも知的にすぐれていると感じられるひとでなくちゃなりませんし、ペーターの場合、あいにくそれにはあてはまりません。その点、あなたとペーターならうまくゆくと思います。(6078)

 こんなブラックな文章がさらっと日記に出てくるのでつい笑ってしまう。マルゴー、なかなかきついことを言っている。最後の一文で、アンネも傷つけているような気もするのだが、それはアンネは気にしていないようである。

 

 結局、ペーターとは相思相愛の中になる。毎日決まった時間に、二人で話をするようになる。話の内容は、大人たちへの不満や、ときにはセックスがテーマになることもあった。男性器と女性器について語り合っているのがシュールだ。

 だが、恋人関係になって時が経つうちに、アンネの気持ちはさめていく。ペーターはユダヤ教を信じないし、向上心もなく、自分と同じ水準の相手ではないと考えるようになったのだ。アンネは、一人の友人としてペーターと接したいと最後には書いている。

 

◎生きることを願うアンネ  

 日記は終盤になると、「生きること」についての記述が増えていく。生きたい、生きて人生を全うしたい、人間としての可能性を追求したい、そういう強烈な思いを日記にぶつけるようになる。

 こうした日記を書いていたのは、イギリスがフランスの海岸に上陸し、いよいよドイツの牙城が崩そうとしていた時期。ラジオでイギリスの攻勢を聞き、解放をすぐそばに感じはじめたことで、生きることが現実感をもって迫ってきたのだろう。

 

 アンネの「生きたい」という思いが日記に頻繁につづられるようになり、彼女のその思いに心揺さぶられたところで、突然、「アンネの日記はここで終わっている」という一文が読者に突きつけられる。

 

 前半は子どもっぽい不満で始まり、中盤にはペーターとの恋が語られ、末尾には生きることへの希望であふれる。アンネの未熟なところも含めて、一人の書き手としての魅力に心をつかまれたところで、日記は終わってしまう。

 日記というのは私的な記録であり、それを読むことは親しい人間関係を結ぶことに等しい。この日記を読むなかで、読者はアンネを一人の友人のように感じ、本当にそばにいるかのように隠れ家の生活の記録を読んでいる。だからこそ、最後、日記がその書き手を失って、部屋に取り残されたという事実が、胸を打つ。