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ラヴクラフト『インスマスの影』 クトゥルフ神話と人種差別

インスマスの影 :クトゥルー神話傑作選 (新潮文庫)

インスマスの影 :クトゥルー神話傑作選 (新潮文庫)

 

 

 南條竹則・編訳の、クトゥルフクトゥルー)神話の短編集。創元文庫の「全集」版と比べると、翻訳は自然で読みやすい。活字も大きい。

 ラヴクラフトクトゥルフ神話関連の短編から7作を選んでまとめた本。その中でも「異次元の色彩」は飛び抜けてよくできている。「色」という題材が想像をかきたてるし、アーカムという陰鬱な町の描写も心地よい。

 

クトゥルフ神話の底にあるもの

 クトゥルフ神話の特徴を拾い出すと以下。

・見た目や臭いへの嫌悪感が、そのまま対象への嫌悪へと結びつく。
クトゥルフたちとコミュニケーションすることは不可能。
クトゥルフたちは一方的に人間世界に浸食してくる。

 この3つの特徴と、ラヴクラフトが人種差別主義者であったことを合わせて考えると、クトゥルフ神話は差別のメカニズムを下敷きにできていることが分かる。

 差別はたいてい、相手の「身体的特徴」をきっかけに始まるものだし、相手とコミュニケーションをとらないことで差別意識は増幅していくし、「相手が自分の世界を脅かしている」という思い込みが差別を正当化する。

 ラヴクラフトは有色人種に対して恐れにも似た嫌悪感を持っていたようだが、それがクトゥルフ神話に形を変えて作品の中に生きている。恐怖の描写に生々しさがあるのも、それを作者がリアルな感覚として持っていたからなのだろう。

 ただ、「クトゥルフ神話は差別の構造を反映しているからダメ」と言いたいわけではない。ラヴクラフトクトゥルフ神話を、ホラーというジャンルの中の1つのパッケージとして提示している。現実世界からは完全に遊離した、あくまでもフィクションの中の作りごと、1つの設定として完結していて、極言すれば妄想にすぎない。このあたりは、見方を変えれば非常に巧妙とも言える。

 ラヴクラフトのように、はっきりと人種差別意識を持っていた作家の作品が、現代でも細々とではあるが読み継がれているのは、差別意識のフィクション上での脱色が、割とうまくいっているからだろう。でも「クトゥルーの呼び声」なんかを読むと、明らかに人種差別的な描写が漏れ出ていて、嫌な気持ちになるのも事実である。

・ものすごく醜くて、ありえないほど強い

 クトゥルフ神話の人気は根強い。小説以外にも、漫画やゲームの中でその設定が活用されているのをよく見かける。

 これだけクトゥルフ神話が人気なのは、相手に配慮することなく嫌悪感を叩きつけられるというのが要因の1つだと思っている。

 クトゥルフたちは、人間の価値観から言えば「醜悪」で、意思疎通などできない相手である。そして、触れるだけで人間を殺せるくらいの圧倒的な力を持つ。つまり、「ものすごく醜いが、ありえないほど強い」のが特徴。だから、気軽に嫌悪感を叩きつけられる。

 これが、「ものすごく醜くて、弱い」と、弱者であり保護の対象になる。「かっこよくて、強い」だと、勇者や魔王だ。「ものすごく醜いが、ありえないほど強い」というのはありそうでない絶妙な立ち位置で、嫌悪感を一手に引き受けてくれる。

 「キモイ!」と正々堂々言っても正当化される快感。人間が理解しえない次元の存在だから、いくらでも嫌っていい。嫌悪の対象として抜群に消費しやすいのが、クトゥルフ神話の最大のメリット。人間関係に疲れた人にとって、クトゥルフ神話は癒やしの場になる。