つやだしのレモン

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加藤智大『解』 激烈な処罰感情

解 (Psycho Critique)

解 (Psycho Critique)

  • 作者:加藤 智大
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

 秋葉原通り魔事件の犯人が本を出していたと知ったので、読んでみる。

 

・事件を起こした理由

 2008年に起きた秋葉原通り魔事件の犯人が、「なぜ自分が事件を起こしたか」を説明する本。

 著者(加藤)はそれを以下のようにまとめている。

 事件の原因は3つあると自己分析していた、と最初に書きました。私が掲示板に依存していたこと、掲示板でのトラブル、そしてトラブル時のものの考え方、としてましたが、今、より正確に書き直せば、社会との接点の少なさを全て掲示板でカバーしていた私の生活、掲示板でのトラブルをトラブルにしてしまった私の性格、そして、痛みを与えて相手の間違いを改めさせようとする私のものの考え方の3つ、ということになります。(159)

  著者は事件を起こした理由を3つにまとめているが、一番の直接的な理由は「掲示板で自分に成りすました人間に罰を与えたかった」こと。

 事件前、加藤智大はとある掲示板に熱心に書き込みをしていたが、そこに自分に成りすます人間が現れた。その成りすまし行為に強い憤りを感じ、何か罰を与えたいと思ったが、匿名ゆえに有効な対策がない。そこで、掲示板で「事件を起こす」と宣言し、実際に大きな事件を起こせば、成りすまし犯が「自分のせいでこんな事件が起こってしまった」という罪悪感を持つと考え、実行した(p. 60)。

 これが事件の動機。そんな理由で人を殺せるのか。

 

・「人とつながりたい」

 事件を起こしたのは、掲示板に現れた成りすましに罰を与えたかったから。著者がそれほどまでに掲示板に執着していたのは、「人とつながりたい」という欲求があったためと説明している。掲示板は人とのつながりを感じられる唯一の場所で、そこを荒らされたことが許せなかった。

 著者は社会との接点を失って孤立することに強い恐怖を感じるという。だから、なんとかして社会との接点を作ろうと動いている。

 社会とつながる一番てっとりばやい方法は、「金」を使うこと。自動車の販売員の言葉に乗って高価な車を買ったり(p. 19, 36)、メイドカフェで大金を使ったり(p. 25)。金を使えば人とつながれるので、著者は稼いだ金をわりと躊躇なく使っている。

 職場の人とのつながりもあった。著者は人付き合いがよく、会社の飲み会によく顔を出したり、同僚との話のタネを作るために秋葉原で買い物をしたりしている。だが、事件を起こす3日前に会社を辞めており、職場の人々とのつながりを失った状態だった。

 

・激烈な処罰感情

 孤独が怖くて社会とのつながりが欲しい。でも現実社会でのつながりを失ったので、掲示板への依存度を深める。

 だから掲示板を荒らされたことが許せずに、通り魔事件を起こすわけだが、それだけの大事件を起こす背後には、著者の強い処罰感情があった。

 著者は、自分を誤解したり、攻撃してきた人間に対して、「罰を与えたい」という欲求を強く持っている。本ではこれを「相手の間違った考え方を改めさせるために痛みを与える」(70)と説明している。事件を起こしたのも、掲示板の成りすましに罰を与えたかったから。

 そして、著者は「痛みを与えて改心させる」という考え方ことそのものは、世の中にありふれていると考えている(71)。例として以下の列挙をする。

 いくつか書いてみますと、例えば、メールの返信が遅い彼氏の弁当にタバスコをふりかける彼女、夜間にハイビームのまま向かってくる対向車に自分もハイビームで応じるドライバー、宿題を忘れた生徒に往復ビンタをする教師、ミスをした選手を殴るコーチ、賃上げ要求が通らずにストを打つ労働者、無罪を主張する容疑者を威圧して自白をせまる取調官、のろのろと道をふさぐ一般車をあおるトラック運転手、門限を破った子供の食事を抜く親、国民の苦しみを無視する政府に向けてデモを行う市民団体、反対票を投じることをチラつかせる与党議員、解散をチラつかせる総理大臣等、全て自分が正しくて相手が間違っていると考える者が相手を攻撃し、様々な形の痛みでもって、間違った考え方を改めさせようとしているものです。戦争は、その究極です。(p. 71-72)

  著者の行動に欠けているのは、「痛みを与えて改心させる」行動に出るまえに、対話での解決を探ろうとすること。他人から「攻撃」されたと感じたときに、著者はその攻撃に報いる攻撃をすぐに考えて行動に移そうとする。

 例えば、愛知の工場での仕事を辞めるときには、上司が困るような状況をあえて作ってから辞めている(20)。派遣会社を辞めるときにも、「フォークリフトの免許をとらせてくれない」という不満から、派遣先に無断で欠席して、派遣会社にクレームがいくように仕向けている(24)。自動車事故での自殺を計画したときも、自分と一緒にいてくれなかった友人たちに「自殺」をほのめかすメールを送り、彼らに罪悪感を与えようとしている(27)。青森の運送会社を辞めるときには、「真面目に働いている自分ではなく、他の人がひいきされている」ことに不満を感じていたので、トラックをすべて破壊する計画を考えている(37)。

 自分をないがしろにした人間に罰を与えたい、後悔させたいという気持ちが強い。著者は「自分が正しい」と思っているので、それを相手に分からせることも正当な行為だと考えている。対話ではなく、罰を与えることを選ぶのも、自分が正しいから対話の余地はなく、相手に自分の正しさを分からせる必要があったからだと考える。

 こうした処罰感情は、被害者意識の強さの裏返しである。本当は敵意のない他者のふるまいを、「自分への攻撃」と誤解する。事件前に職場を辞めたのも、「自分の作業服をいたずらで隠された」と考えたせいだが、それは後に誤解だと分かっている。

 自分が被害者となることに敏感で、だから他人の行動を「自分への攻撃」と見誤りがちで、その攻撃にいかにして反撃するかに夢中になってしまう。この、処罰感情と被害者意識のコンボが、最悪の事件を生んだ。「人を殺したくない」という欲求よりも、「処罰感情を満足させたい」という欲求のほうが強かった。それくらい、著者の処罰感情は激烈で、まるでその感情に取り憑かれてしまったかのように極端な行動に走る。

 そして、著者がこの本を出版したのも、この処罰感情と被害者意識が理由。著者は「事件を起こした動機が誤解されている」ことに強い憤りを感じていて、この本を書いたのは自分の動機を正しく知ってもらいたかったから。メディアが作りあげた自分のイメージを「攻撃」だと感じ、本当の動機を表明することでメディアに反撃し、罰を与える行動をとっている。

 

・社会との接点を複数確保しておくこと

 本の最後に、「どうすれば通り魔事件を防げたか」を、著者が分析している。

 社会との接点が「掲示板」しかなくなってしまった状況が、事件を起こす理由になったと著者は分析している(個人的にはそこよりも処罰感情の強さに原因があるように思うが)。 

 掲示板はあくまで社会との接点のひとつでしかなく、それで全てをフォローしようとしたのが間違いでした。…(中略)…宮城の会社や青森の運送会社で危うく事件を起こしそうになっても、それらを自分から切り落としてしまうことで思いとどまってきたように、今回も掲示板を切り落としてしまえば事件は起こらなかったというのはひとつの可能性です。それができなかったのは、私が自分の中で掲示板に大きな役割を持たせてしまったことが原因だったと考えています。(49)

 私は、社会との接点を確保しておくことで思いとどまる理由も確保しておき、そこに逃げられるようにしておくことが、似たような事件を防ぐ対策になる、という結論に達しました。もっと簡単な言葉にすれば、「まあいいや、それより〇〇しよう」と思える「〇〇」をたくさん集めておく、ということです。(152)

 ですから、もう一度同じことを書きますが、そうした逃げ場が無くならないよう、社会との接点を確保しておくことが対策になるといえます。私のように「自分」が無い人も、様々な社会との接点を確保し、事件が思い浮かんでもそこに逃げることで思いとどまってくれたら、と思います。(153) 

 社会との接点を複数確保しておけば、そのうちの一つを失っても「まあいいや」と思える。社会との接点の数が、心の余裕になるということ。