つやだしのレモン

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少年A『絶歌』 少年Aは更生したのか?

 元少年A『絶歌』を、「少年Aは更生したのか?」が知りたくて読んだ。


・加害者が本を出すこと

 殺人のような重大事件の加害者が本を出すことには社会的な価値がある。「過去に重大な犯罪を犯した人間がどのように更生したか」(あるいはしていないか)を知るための資料になるから。例えば殺人願望を抱えている人間がこの本を読み、殺人を思いとどまるようなことがあることを考えると、加害者の手記には大きな意味がある。

 とはいえ当然、手記出版には「被害者の家族を傷つけ苦しめる」側面ももちろんある。だから手記の著者は、「自分の言葉が遺族を苦しめる」ことは常に考えなければならない。手記を出すということは、著者は遺族感情を傷つけてなお、出版によって何か得たいものがあったということである。

 

・少年Aの更生

 中学生や高校生による凶悪犯罪はたまにある。でも少年Aの事件が特異なのは、その残虐性と計画性による。怒りや嫉妬から衝動的に暴力を振るうのではなくて、人を殺す計画を綿密に練り、実行し、さらには死体をもてあそび、あまつさえ犯行声明まで添えた。それを中学3年生がやったのだ。誰だって彼の「その後」は気にしている。

 少年Aの事件についてのルポ『暗い森』を読むと、少年Aを犯行に駆り立てた理由の1つに、「自己肯定感の低さ」が挙げられている。少年Aは自尊感情が低くて、自分の命なんてすぐに捨ててしまえるものと考えていた。そうした極端な自己評価の低さが、他者の命をも軽んじることにつながって、あのような残虐な殺人行為へと至らせたのだろうと推測されている。

 自尊感情が持てず、「いつ死んでも構わない」という思いを持つ人間が、死の道連れを探すかのように人を殺すこと。川崎の殺傷事件や京アニの放火事件を見ても、そうした「何も持たない人」がゲームでキャラを殺すかのごとくに現実で人を殺している。事件当時の少年Aのように、まだ幼くて背負うもののない人が、厭世観にとりつかれて人を殺してしまうということは、納得はできなくても理解はできる。

 となると、そうした「何も持たない人」が更生するとは、どういうことか。それはもうシンプルに、死を望むのではなく、前向きに生きていきたいと思えるようになることだろう。

 

 だから、こういう本を出版するということそのものが、少年Aの更生なのだと思う。

 この本を読んで分かるのは、「著者が自分の人生を表現し、自己顕示欲を満たしたい」ということと、「手記の出版によって金銭的な利益を得たい」ということの2点である。前者の「自分を表現したい」ことは本の中に書いているし、「経済的に苦しい状況にありお金を必要としていること」も後半に書かれている。

 手記を出版したり、メルマガを作ったりといった少年Aの行動からは、自分が商品になりうるという意識がある。殺人経験のある自分を商品化し、インフルエンサーのように売り出すこと。それをして少年Aが手に入れたかったのは、生きるためのプライドとお金である。

 遺族感情を傷つけてまで、少年Aが手に入れたかったものがその2つであるというのは、倫理的な観点からいえば浅ましい。でもそうまでして生きようとしているからには、たしかに更生したのだともとれる。少なくとも、「いつでも死んでいい」という思いからは抜け出して、どんな手段を使ってでも生きようという方向へ踏み出していることは分かる。

 

・人を殺してはいけない理由

 以上の理由から、一人の犯罪者の「更生」を示す本として、この手記を読んだ意味が(少なくとも私には)あった。

 でもだからこそ、『絶歌』の最後に書かれている、「人を殺してはいけない理由」には納得ができなかった。

 少年Aは、殺してはいけない理由として、「後で絶対に苦しむから」と言っている。だから殺してはいけないのだと。これはたしかに、少年Aだからこそ言えることではある。

 でも、上に書いたように、「何も持たない人」にとっては、人を殺す上で「後で苦しむこと」なんて考えない。「何も持たない人」には後悔する余裕も時間もないからである。だから、少年Aの言葉は、同じような境遇にある人々の殺人を抑止する力を持たない。

 

 少年Aが、自分の更生をもとに「殺してはいけない理由」を語るのだとしたら、「後で苦しむから」ではなくて、「後で『生きたい』と思うかもしれないから」と言うべきだろう。

 少年Aが、「後で苦しんだ」理由は、彼が更生して「生きたい」と思ったからである。何としてでも生きねばと思ったときに、過去に自分のした行為の責任が重く重くのしかかってくる。

 極端に自尊感情の低い人間は、遊びの感覚で人を殺せる。でもそんな人間でも、社会を知り、自分を受けれてくれる場所を持てば、前向きに生きたいと思うようになり、過去の行為に苦しむようになる。実際、少年Aは、何としてでも生きたいと思えるようになったからこそ、この手記を出版したわけである。

 だから、少年Aが伝えるべき「殺してはいけない理由」は、今とても苦しくて、周りを見渡しても絶望しかなくて、人を殺しても少ししか痛みを感じないという人に向かって、でももしかすると、自分のように、前向きに生きたいと思えるような瞬間が来るかもしれない、と言うことではないか。それこそが少年Aだからこそ言える「殺してはいけない理由」なのではないか。「何も持たない人」に対して(気休め程度の)希望を与えて殺人を少しでも防ぐことが、この手記を出版した意味なのではないか?