つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

少将滋幹の母

 谷崎潤一郎 少将滋幹の母 (新潮文庫


○印象・感想

 短い小説でありながらも、谷崎潤一郎の変態性がぎっしりと詰まっている名作です。平安時代中期が舞台で、当時の言葉や和歌がやたらと出てきて目が回りますが、しっかり注釈がついているので安心です。ただ、注釈は200以上あり、それを一つ一つ読みながら本編を読んでいくと話の筋が分からなくなるので、なんとなく意味の分かる箇所はスルーして読み進めていくのが吉です。



○「妻を譲渡する」

 この小説のハイライトは3つ。

 ・大納言国経が左大臣時平に妻を引き渡す場面

 ・幼少の滋幹が国経の不浄観修行を覗き見る場面

 ・壮年になった滋幹が母に再会する場面


 どれもが素晴らしいシーンですが、とりわけ印象に残るのは最初の「大納言国経が左大臣時平に妻を引き渡す場面」でしょう。自分の妻を他の男に引き渡す、という今昔物語にある逸話に目をつけて小説にしてしまうあたり、さすが谷崎潤一郎という感じです。

 時平の煽り文句があったとはいえ、国経が自分の妻を「自ら進んで」時平に引き出物として渡す場面にはゾクゾクと背筋が寒くなります。高齢で身体が頑丈なことだけがとりえの老人が、自分の唯一の慰み物であった妻を譲渡する、この場面を舌なめずりしながら書いたであろう谷崎潤一郎の変態性欲には脱帽するしかありません。『痴人の愛』からガラリと小説スタイルを変えたとはいえ、根幹の部分には同じものがあるのでしょう。

 そして面白いのは、谷崎潤一郎自身が「妻を譲渡する」経験をしているということです。1930年、谷崎が44歳の時に、彼の妻の千代子は谷崎と離婚して詩人の佐藤春夫と再婚します。佐藤春夫は谷崎の友人で、離婚前の数年間は千代子を中心に三角関係にありました。「著名な作家が友人に細君を譲り渡した」というこのスキャンダラスな事件は当時大きな話題になったそうです。この事件に関しては松本清張『昭和史発掘』の「潤一郎と春夫」に詳しいです。

 この「細君譲渡事件」を起こした人物が、同じことをテーマにして小説を書く、というのはなんとも大胆不敵で厚顔無恥な話であります。少将滋幹の母が発表されたのは1949年なので、事件が起きてから19年の年月を経ていますが、それでもなお、自分のスキャンダルを小説のテーマにすることからはもはや生粋の変態以外の何ものだというのでしょう。「文章の上手い異常性欲者」、これこそ谷崎潤一郎を形容するにふさわしい言葉です。

 谷崎潤一郎の小説を読むとき、文章の美しさや日本文化への造詣の深さに感銘を受けるとともに、物語の薄っぺらさ、底にあるものの軽薄さをほんのりと感じてしまうのは、そこらへんに原因があるのでしょう。自分の異常性欲を作品として表現するために、時には西洋風の美意識で華麗に着飾り、時には日本的な陰のある美しさでしっとりと覆い隠す。作品を彩る美意識や文化への深い知識にはいつも感心させられますが、それは全て作者が書きたい主題を修飾するスタイルにすぎない。これはまさに、デヴィット・リンチ監督が自分の変態性を映像化したいがために『エレファントマン』を作ったのと構造的には同一です。ただ、単なる異常性欲の吐露で終わっているのではく、きちんと一級品の読み物として昇華させているというのはさすが大作家の業です。

 しかし、このような小説は、作者の異常性を分かち合えるような人でない限りは真に満足することはできないわけで、谷崎潤一郎の作品を読んでもその内容をすっかり忘れてしまうのは、自分が登場人物に(つまりは作者に)共感できないからなのでしょう。