つやだしのレモン

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【読書メモ】 『辰巳ヨシヒロ傑作選』

●作品メモ

  • 本のカバーと帯がカッコイイ。カバーは「わかれみち」という短編からの抜粋。帯は文字の色が渋い。
  • 辰巳ヨシヒロさんのWikipediaに、「社会の下層に位置する人々の苦悩を陰鬱なタッチで描いた」とある。この短編集を読んだ感想としては、「社会の下層に位置する人々」を描いたというよりは、他人との意志疎通に不自由している人間の、異常な性癖を描いた短編が多いように見えた。猫に股間を舐めさせるとか、インポテンツとか、セックス奴隷とか。
  • なおかつ、当時としては最先端の社会問題を積極的にテーマとして取り上げているように思う。鳥葬やPTSD、ペットプレイなど。


●収録作品

 ネタバレ上等。

  • 「なまけもの」

 ダメ人間の妄想。ユーモアのあるオチがついている。

 主人公は職のないプー太郎で、バーで働くデブ女のヒモとして何とか生活している。女とは毎晩、気のないセックスをするのだが、女のほうからすれば、それは単に性欲を満たすためのものであって、「子ども」を作るためのセックスではない。女の給料だけでは、子どもを養うことができないからだろう。
 だが、男からすると、「経済力をもっている女性から捨てられないため」という目的のもとでのセックスなので、乗り気ではないし、自分の精子が無駄に消費されているという徒労感も伴う。排水溝から下水へと流れ落ちていく自分の精子を、ひどく空しいもののように感じるのだが、その精子が、メスのネズミに「受精」しないだろうかという馬鹿な妄想をしたりする。ネズミには、「子どもを養うだけの経済力」など考える必要などないから、自分の「子ども」を自由に作ることができる。その子どもが、ヒットラームッソリーニのような偉大な人間になるかもしれない。自分のような屑みたいな人間から、たいへん優秀な子どもが生まれるかもしれない、という無意味な想像を広げている。
 下水の中を、赤ん坊の死体が流れていく場面がある(p.37)。この場面を、主人公の心象風景と捉えるのならば、「子どもが欲しいけれども、経済的な理由から子どもを作れないことへの不満」が表現されている、あるいは、「過去に堕ろした子どもを、脳内で思い返している」のかもしれない。主人公が自分の「精子」や「子ども」についてかなりのこだわりを見せていることから考えると、「過去に堕ろした子ども」という線が強いのではないか。
 過去、自分が無職で経済力がないがために、女に妊娠中絶をさせたが、それを今でも後悔している。あのとき堕ろさせた子どもが、実はヒットラーのような子どもに育ったかもしれない、と妄想している。
 なぜヒットラーなのか? 偉人として挙げるのなら、もっとふさわしい人は他にいるのに。ヒットラーは偉人というよりも、むしろ悪人の部類だろう。この、「自分の子どもがヒットラーのようになったかもしれない」という妄想には、「ヒットラーのような偉人になったかもしれない」という後悔の気持ちと、ヒットラーのような大悪人になったかもしれないから、堕胎させて正解だった」という正当化が含まれいているのだと思う。

  • 「黒ネコのタンゴ」

 なぜ銭湯の番頭の未亡人は、クロという名前の猫に性器を舐めさせていたのか? 
 街の男は未亡人について、「だがのう あれは男ぎらいじゃ」と言っている。観光客の眼を引くような美人なのだから、いくらでも男は選べるはずなのに、猫を使った変態プレイに夢中になっている。
 ここから想像するのは、未亡人が同性愛者であること。男性相手には性的魅力を感じられないからこそ、動物に性欲のはけ口を求めているように見える。村の中年男性たちの相手をしているのは、「男なら誰であろうと一緒」だからかもしれない。
 未亡人で娘が一人いるということが、「意にそぐわない結婚」を想像させる。お見合いか何かで結婚したはいいものの、自分の性的傾向に気づき、だがその時には子どもを身ごもっていた、というようなストーリーが埋まっていると思うと、この漫画は広い。
 

  • 「あな」

 「あな」がどれぐらいの深さなのかが分かりにくい。一度落ちたら、這い上ることができないくらいの深さの穴なのだから、最低でも4メートルほどの深さはあるだろう。実際、主人公が穴に落ちたコマを見ると、かなりの深さがありそうに見える。6メートルくらいはありそうだ。
 しかし、ページを繰っていくと、穴はそれほど深くないことが分かってくる。穴の中の男と、それを見下ろすようにして立っている登場人物との距離が、思った以上に近く感じる。せいぜい3メートルか4メートルといったぐらいの深さしかないように見える。
 そのせいか、ラストで女が穴の中に石を落す場面の意味が、やや分かりづらくなっている。当初のような深い穴であれば、石を落して男の生死を確認するという意図は分かりやすいのだが、浅い穴の場合、石を落とさずとも目視で確認できるのでは?と思ってしまう。
 あるいは、石を落したのは、犠牲者を数える行為とも思える。美容整形に失敗した女は、今までもこのような形で男を穴に落として飼育してきていて、その男が死ぬたびに、石を落して数をカウントしていたのだ、と。
 だが、そこで再び考えるのは、男が雨で溺死したとしたら、水面に浮かぶはずだ。死体は空気を吸って膨らむので、ブヨブヨになった男の死体が穴の水面に浮かんでこないとおかしい気がする。
 そう考えると、別の可能性にも考えが及ぶ。男を追ってきた女性が、結局助けたのではないか。水面に離婚届が浮かんでいたのも、「離婚を帳消しにする」という意味にとりうる。一度男を捨てて帰ろうとしたが、やはり思いとどまって、男を助けにきた場面を想像してみる。

  • 「わかれみち」

 ヨッちゃんのいびつな家庭を見て、主人公のケンジはショックを受ける。ヨッちゃんの家庭にはどうやら父親がおらず、母が飲み屋の女将として働いて女手一つでヨッちゃんを育てている。
 ヨッちゃんの母が、祭りの日に、ヨッちゃんの部屋で、飲み屋の客と思しき男性とまぐわっているのを、主人公は見てしまう。その後、ヨッちゃんと会うのだが、ヨッちゃんはどうやら自分の母のそういうことを知っているらしい。けれども、ヨッちゃんはそれについて不満を漏らすでもなく、当然のことのようにケロリとしている。
 友人の親のセックスを見たことが、主人公にとっては衝撃的な体験で、しかもそれがセックスを目にした最初だったのだから、そのショックは大きい。けれども、主人公にさらに大きなトラウマとなったのは、そういうことについて、ヨッちゃんがまるで意に介していなかったことではないだろうか。主人公にとっては異質な世界でも、それがヨッちゃんにとっては自然な世界であったのだろう。だが、この体験が、主人公には心の中のしこりとして残っていく。
 言ってみれば、この短編は、主人公がまだナイーブだった青年時代に、性の洗礼を浴びた体験を描いているわけだが、気になるのは、「はたしてヨッちゃんは、自分の母親の性生活について本当に気にしていなかったのか?」ということだ。
 描写だけを見ると、ヨッちゃんは自分の母親の男事情には無頓着、というか慣れていて、まるで気にしていないように見える。そして、今では妻をめとり、主人公とは対照的に、平穏な生活を送れているように見える。だが、これだけ描き方が一方的だと、実はヨッちゃんのケロリとした表情の陰には、様々な苦悩があったのではないか、と考えてしまう。自分の母親が、自分の部屋で、知らない男とセックスをしていることに、無頓着でいられる人間などいるのだろうか。ヨッちゃんも、そのことについては深く長く悩んだはずで、それを主人公に見られたことはひどく恥ずかしいことだったに違いない。だが、恥ずかしいからこそ、強がってケロリとした風に装っていたのではないか。ヨッちゃんも、主人公と同様に、あるいは主人公以上に、苦悩の道を辿ってきたはずである。
 ということは、この短編の主題は、そんなヨッちゃんの気持ちを考えることができずに、「このように悩んでいるのは自分だけだ」と思い込んでいる、社会に溶け込めていない主人公の未熟な姿にあるのではないか。大人になるということは、他人も自分と同じように悩み苦しんでいるのだということを知ることである。主人公はその過程をうまく踏めなかったために、仕事帰りに居酒屋でひとりきりで酒をすする人生を歩んでいる。そうするとまさに、ヨッちゃんの家での性体験こそが、主人公にとっては「わかれみち」だったのだろう。

  • 「鳥葬」

 私が借りているマンションの隣に、この短編で描かれているようなボロい一軒家がある。壁はどこもヒビだらけで、建物自体の老朽化も激しい。夜、仕事から帰ってその家のそばを通るときに、たまにその家の主人の姿を見ることがある。臆病そうにあたりを伺う、少しやせた中年の男性で、定職に就いているとは思えない風貌で、缶ビールの入ったコンビニ袋を片手にぶら下げいることが多い。
 その家には、数匹の野良猫が住みついていて、その男性が餌付けをしている。私はたまたま、彼が猫に餌をやっている場面に通りかかったのだが、まるで悪事が見つかったように、でも何にも悪いことをしていないのに、ビクビクして私の方を見たのを覚えている。あの人も、鳥葬されるタイプの人なのだろう。

  • 「大砲」

 PTSDとインポテンツの関係をGoogleで検索すると、こういうサイトが出てくる。ヴェトナム戦争の帰還兵が、戦争のPTSDにより性行為に支障をきたすケースがあるという記事。常に恐怖感が体中を取り巻いているので、なかなか勃起を持続できないらしい。

  • 「ふとんの中」

 「声帯や眼をつぶされ手足をしばられて」「ただ男のセックスのために改造された女」。フィクションだと分かっていてもゾッとする。だが、セックス奴隷を所有したいがために人殺しまでするというのは分からない。

  • 「花いじめ」

 ミステリー風の短編。植物とセックスする男。いろんな性癖を考え付きますなあ。「とろけるようなこころよい陶酔」って書いてるけど、やったあとは絶対に自己嫌悪になると思う。

  • 「みちくさ女」

 夫は、妻の帰りを2年間待ち続けた。妻の失踪時のままに部屋を保ち、彼女が戻ってくるのを辛抱強く待ち続けた。この短編で焦点が当てられているのは、そんな夫の異常性。普通ならすぐに警察に捜索願いを出すだろうし、失踪した妻に憤慨するだろう。もしかしたらM気質がすごくて放置プレイをされている感覚なのかもしれない。
 また、妻の側にも問題があることは言うまでもない。帰って早々、夫とその母が食事中にたてる「ピチャピチャ」という咀嚼音が嫌になり、また失踪してしまう。夫婦間で何らかのわだかまりがあるのであれば、それをまずは言葉によって解決しようと図るのが大人の対応なのに、妻はまるで癇癪を起したかのように突然姿を消してしまう。
 2年間も無断で家を空けていたのに、罪悪感のポーズは控えめで、まるで自分にはその権利があったかのように毅然として振る舞っていることも不思議である。一つの場所に留まることに耐えられず、絶えず動き回っていないと充足感が得られない、幼児のようなパーソナリティをもっている。この夫婦はどちらも異常なのだ。

  • 「コップの中の太陽」

 純文学によくありそうな話。