つやだしのレモン

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『パラサイト』 半地下の家族と観る、半地下の家族

 TOHOシネマズ上野で『パラサイト』を見た。映画は素晴らしかったが、それ以上に、隣に座った家族が面白かった。

 その家族は4人連れで、私の右隣の側に並んで座っていた。母親+子ども3人の構成で、子どもはみな小学生くらい。大きな容器に入ったポップコーンを共有して食べていた。

 上映前、自分の席を見つけたときに同時に隣の家族を見て、「あーハズレ席ね」と覚悟はできていた。ただ、そのハズレ具合が予想を超えた。「映画館のマナー違反リスト」をすべてクリアする勢いだった。

・上映中に子どもがポップコーンをむしゃむしゃ食べる。口を開けたまま食べるので咀嚼音が聞こえる。

・映画が始まって30分くらいで、子どもの一人がスマホを見始める。

・上映中に普通に喋る。子どもが「あーそういうことか」と独り言を言ったり、「『かすむ』ってどういう意味?」と言葉の意味を聞いたりしていた。母親はそれに注意すらしない。

・映画が終わった後、その家族連れの座席下にポップコーンが散乱していた。数個ではなく20個くらい。歩くときに踏むのを避けるのが難しかった。

 映画館でクソ客に遭遇した経験はけっこうある。ただ、ここまでフルコンプリートな家族に遭遇したことはなかったので驚いた。噂で聞く「マナー違反のクソ家族」をそのまま体現するかのような振る舞いだったので、こういう仕込みの客かとすら思えた。見ていたのが『パラサイト』というダメ家族を扱う映画だったので尚更。

 以前なら、こういうクソ客に遭遇するとイライラして映画を楽しめなかった自分だが、最近では、クソ客のクソっぷりを楽しむようにしている。大昔に伊集院光がラジオで、「映画館はクソ客まで含めて作品」といったようなことを言っていて、あーたしかに、わざわざ映画館で映画を見るからには、こういうハプニングも含めて楽しむべきだよなと思っていた。

 よく、「現地でのスポーツ観戦はその場の空気感を楽しむもの」と言うけど、映画館で映画を観ることもそれと全く同じ。映画館という空間も含めて楽しむエンターテイメントである。だから今日も、映画を楽しみながら、一方でこのクソ家族の言動も楽しむことで、以前のようにイライラせずに映画を見れた。

 ということで、以下は、そういうクソ客まで含めたうえでの、映画『パラサイト』の感想である。

 

●半地下の家族と観る、半地下の家族

 『パラサイト』は、半地下のボロ家に住むダメ家族が、ふとした偶然で高級住宅街に住む富豪の一家に取り入る機会を得て、彼らの生活に寄生するという内容の映画である。

 パラサイト一家は社会の底辺でかすみを食らう家族だが、そんな彼らでも簡単に富豪一家を騙し、その生活に入り込むことができる。底辺な家族のダメさと、本物/偽物を見抜けない富裕層の虚飾とを、ブラックユーモアでくるんで描くポン・ジュノの傑作である。

 ただ今回は、映画そのもの以外に、「映画館のクソ家族」の要素が加わっている。映画内ダメ家族をそのまま現実に持ってきたようなクソ家族が、まさに隣にいるのだ。半地下の家族が、半地下の家族の映画を見るという、まさにポン・ジュノ的なブラックユーモアがそこに出現していたのである。

 しかも、そのクソ家族の子ども3人は年齢的に小学生くらいで、明らかにこの映画に退屈していた。2時間を超える映画の開始30分くらいで、つまらないのかお喋りをはじめて、子どもの一人はスマホをいじりだしている。まったく映画を楽しめていないのだ。

 「半地下の家族」を主人公にした映画なのに、現実の「半地下の家族」はその映画を理解できないという皮肉。ポン・ジュノの映画は、社会の底にいる人間のダメさと、社会の上層にいる人間のダメさを並べて描くというところに特徴があると思うが、でも現実の「半地下の家族」には、ポン・ジュノの映画の素晴らしさは届いていないのだ。そして私はそれを、実際に映画館で体験することができた。

 ということは、この映画『パラサイト』は、社会のいろんな人間のダメさに温かな視線を注ぐ映画のように見えて、実際には一部の層にしか届いていない映画ということである。映画の内容がもつテーマに反して、この映画そのものは、一部の層にしか楽しめない、高級な娯楽になってしまっているわけである。

 これこそが、この皮肉こそが、映画『パラサイト』で私が一番楽しめたところ。まさに映画館でしか味わえない、高級なエンタメだった。