つやだしのレモン

読んだもの、見たものの感想を書く場所。

『Enderal: Forgotten Stories』レビュー

10  /  10

 

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Skyrimの大型MOD

 『Enderal』は『Skyrim』の大型MODで、Steamで無料で配布されている(ただしSkyrimの所有が条件)。Skyrimのゲームシステムをベースにしているが、物語の世界観は全く別物で、「Enderal」という大陸が舞台になる。

 本家のSkyrimが「The Elder Scrolls」というシリーズの一作であるのと同様に、このEnderalもまた「Vyn」というシリーズの一作である。Vynは世界の名前で、Enderalはその世界を構成する一つの大陸。このVynのシリーズには他に「Arktwend」(MorrowindのMOD)や「Nehrim」(OblivionのMOD)がある。

 おおまかなあらすじは、「世界に終焉(the Cleansing)が訪れようとしているので、それをなんとかして防ぐ」というザ・王道なファンタジー。ただ、終焉をもたらそうとする存在の謎や、帝国内部の人間関係が緻密に描かれるので陳腐さは全くない。

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GOOD

陰鬱だが練られたストーリー

 とにかくストーリーがよく出来ている。陰鬱だがよく練られている。ジョージ・R・R・マーティンの「氷と炎の歌」シリーズのような、やたらとダークだが惹きつけられる物語。プレイした人であれば、このゲームを引っ張っているのはストーリーだと皆言うはず。

 Skyrimで残念だったのはメインクエストのハリボテ具合。主人公のドラゴンボーンという設定は個性的で面白いが、肝心のプロットが致命的に弱く、興味を持てなかった。ドラゴンボーンという魅力的な設定をまったく活かしきれていなくて、50万円の額縁に2万円の絵を入れて飾ってるみたいな代物。だから、プレイヤーの自由な冒険が核で、メインクエストは添え物という印象だった。

 Enderalは逆で、サイドクエストや派閥クエストの多くが、メインクエストに何らかの形でつながっている。「現世の肉体を捨て、別の世界へ」というテーマが、いろいろなクエストで繰り返し登場する。だから必然的にメインクエストの存在感は強くなり、プレイヤーが能動的にストーリーに関わっていく道筋が整っている。

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巧みな演出

 練られたストーリーとともに驚いたのが、ゲームとしての演出の巧みさ。無料のMODなので、作るのに金がかかるであろうムービーシーンはほとんどなく、ゲームシステム上でキャラを動かす程度の演出に過ぎないのだが、その使い方が巧みで、限られた制約のなかで最大限の可能性を引き出している。

 例えば主人公が見る「悪夢」。夕陽が照らすゆるやかな坂道をのぼり、父と話し、家に入る。この場面が作中で何度かリフレインされるが、そのたびに細部が変わっていく。穏やかな風景なのに、なぜか気味の悪さが充満している。ゲーム冒頭のこの悪夢の場面だけで「いいゲーム」というのが分かる。

 あとは、The Orderを裏切った兵士を尋問する場面。自キャラはそこに同席できないが、ドア越しに「声」を聞くことはできる。交わされる言葉のみに集中させる面白い演出。この声だけを聞かせるという演出は別の場面でも使われている。

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魅力的なNPC

 物語を彩るNPCも個性豊か。Calia, Jesper, Esme, Rynéus, Aged Man, Tharaêl, Qalianなど、背景の設定されたキャラクターが揃っている。CaliaとJesperはそれぞれ専用のキャラクタークエストがありつつ、メインクエストにも絡んでくるキャラで、NPCの活かし方がうまい。

 特にEsmeのクエストは素晴らしい。Esmeが以前に恋仲だった女性の今を追うというクエストなのだが、最初から最後まで、その女性に主人公が会うことはない。Esmeの語りと、女性が残した足跡から、彼女の生きた証をたどるだけ。プレイヤーにできるのは死者に思いをはせること、そしてEsmeの悲しみに寄り添うこと。このクエストの名前は「Our Mark on this World」だが、まさにその名前のとおりに、一人の女性が世界に残した跡をEsmeとともに追想するという内容になっている。

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思わず聴き入る吟遊詩人の歌

 あと、これは個人的にグッときたポイントとして、酒場で歌っている吟遊詩人の曲が、思わず足を止めて聴き入ってしまうくらいにいい。特に男声の吟遊詩人の歌は、Enderalというゲームの陰鬱な雰囲気と不思議なくらいに共鳴していて心に響く。

 吟遊詩人の曲はSteamで無料公開されており、YouTubeにも公式でアップロードされている。下は個人的に一番好きな「The Black Guardian」という曲。

 

BAD

戦闘がとにかくシビア

 不満点は、戦闘がかなりキツめなこと。Skyrimは主人公の強さに合わせて敵の強さがスケーリングするので、つねに自キャラと同程度の敵と戦える。一方でEnderalでは敵の強さは固定されている。このシステムは自キャラの成長を実感できるというメリットはあるものの、序盤の戦闘がかなり厳しくなるというデメリットも大きい。序盤に街道をうろつく狼が強すぎて何十回も死んだ。

 あくまでも無料MODなので、万人に受けるゲームではなく一部のプレイヤーにはまればいいというスタンスなんだろうなとは思う。でも、これだけ優れたゲームが、序盤の戦闘の厳しさで敬遠されているとしたらもったいない。Steamの実績取得率を見ると、エンディングに到達しているプレイヤーは全体の5%ほど。

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『Detroit: Become Human』レビュー

8  /  10

 

【プレイデータ】
・買った場所: Steam
・プレイ時間: 10.6 時間

【Good】
・練られたストーリー
・豊富な選択肢
・洗練されたグラフィックとUI

【Bad】
QTE多すぎ
・ムービーがスキップ不可なのはリプレイ時に不便

 

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 ストーリーを楽しむアドベンチャーゲーム。アンドロイドが普及した世界で、アンドロイドの自立と反抗を描く。

 特に素晴らしいと思わせるのは、プレイヤーの作品世界への導き方。例えば冒頭で、マーカスが街におつかいに行く場面があるが、マーカスを操作して街を歩く途中で、アンドロイドを非難する演説をする人がいたり、反アンドロイドの人間に絡まれたりする。そのときのゲーム上の目的は単なるおつかいだけど、その過程で「アンドロイドが街中にいる」「アンドロイドで職を奪われた人間がいる」「アンドロイドを憎む人間がいる」ことが分かるようになっている。こういう作品世界の「匂い」を、ムービーやナレーションで直接に説明するのではなく、間接的にかがせるような形にしているから、作品世界の導入が自然に行われるし、プレイヤーの理解度も深まる。

 

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 選択肢の豊富さも特筆すべきポイント。アドベンチャーゲームはプレイヤーに選択を委ねる点が醍醐味だと思うが、このゲームは分岐が豊富に用意されいていて、ひとつひとつの選択が異なる結末へ至るように設計されている。後半は同じキャラクターでも全くの別ルートが用意されていて、作り込みの深さが見てとれる。

 

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 不満は2点ある。

 まずはQTEの多さ。主に戦闘シーンでQTEが要求されるが、「ムービー中に画面に表示されたボタンを急いで押す」というだけのもの。この劣化タイピングゲームのようなチープなミニゲームを、優れたグラフィックと洗練されたUIのなかで行わせられるのには強い脱力感を覚える。こんだけ作り込まれたゲームなのに、これだけ魅力的なストーリーなのに、画面に表示されたボタンを急いで押すだけの作業を求められるのは切ない。

 

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 2つ目の不満はリプレイ時の不便さ。途中のムービーはスキップできないし、ただ歩くだけの場面もカットはできない。だから「この選択肢をとっていたらどうなっていたんだろう」と思ってリプレイするのは時間がかかる。

 このゲームの通しのプレイ時間は10時間程度であり、何度もプレイして別の分岐を楽しむゲームだと思うのだが、リプレイ時の利便性が極めて低い。せめてムービーはスキップできるようにしてほしかった。

 

 総評としては、ストーリーやグラフィック・UIは優れているものの、ゲームのシステムがその魅力を大きく削いでいる。上質なドラマと劣化タイピングゲームを融合させたような、いびつで奇妙なゲーム。

『Zeno Clash 2』レビュー

【プレイデータ】
・買った場所: Steam
・プレイ時間: 7.8時間

【Good】
・風景やキャラクターのアートワーク

【Bad】
・戦闘システムの拙さ
・よく分からないストーリー

 

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 『Zeno Clash』の続編のレビュー。1作目のレビューは以下。

 

 1作目もそうだけど、アートワークがとにかく独特で見入る。他のどのゲームでも見たことがないような世界が広がっている。ヒエロニムス・ボスの絵画のような、気味が悪いけどゾクゾクする感覚。 

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  ストーリーは正直よく分からない。

 理解する限りのストーリーは、Zenozoikという世界で、いろんな種族の子どもたちが誘拐される。誘拐したのはFatherMotherというデカい鳥人間みたいな奴で、主人公もそのFatherMotherに幼児のときに誘拐されて育てられた。誘拐されたことを知った主人公はFatherMotherと衝突するけど、最終的には和解してお互いに理解しあっている感じ。

 一方で、ZenozoikにはGolemという神に近い存在がいる。このGolemが何者なのかはよく分からないのだが、人間を超越した力を持っているのは見た目からも分かる。このGolemが人間にいろいろちょっかいをかけてきて、例えばFatherMotherを捕まえて監禁したりする。主人公はそんなGolemに反抗し、倒そうとするんだけど、Golemはいちど触った人間とリンクして、Golemが受けたダメージをリンク先の人間にも伝えるという特殊能力を持つ。だから主人公は手出しができなくて、打開策を求めてGolemの拠点に潜入する、みたいなのが大まかなストーリー。退屈はしないんだけど、でも没入もしない程度のストーリーの吸引力。

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 やはりこのゲームは、「独特なアートワークを楽しむ」のが最大の魅力。実際に風景は本当に美しい。拙い戦闘システムは適当にやり過ごして、作品世界に浸るのがいい。

今月読んだ本 2020年10月

 

結城充考『躯体上の翼』

躯体上の翼 (創元SF文庫)

躯体上の翼 (創元SF文庫)

 

 世界観が精巧なSF。文章は禁欲的、でもアクションシーンは多い。

 ただ最近思うのは、映像が過多な現代に、アクションを文章で読むことのしんどさ。文章が喚起するイメージの魅力、というのも分かるのだけれど、映像が持つ迫力と比べたときに、文章でのアクションには限界を感じてしまう。小説が描くべきものの範囲が以前に比べてかなり狭くなってきているというのは、どうしても思わざるをえない。

 

桐野夏生『夜の谷を行く』

夜の谷を行く (文春文庫)

夜の谷を行く (文春文庫)

 

  連合赤軍の山岳ベース事件に関わった女性の、そのあとの生き方の話。

 過去に大きな罪を犯した人が、その罪をいつまで背負っていくのか。そういう、結論なんてでるわけのないことを巡って、ぐるぐると渦を描くように考え続けるような話。

 

・帚木蓬生『閉鎖病棟』  

閉鎖病棟(新潮文庫)

閉鎖病棟(新潮文庫)

 

  病棟で暮らす患者たちの様子のリアリティが素晴らしい。著者が精神科医だけあって、実際の患者の様子が伝わってくる。

 小説としては勧善懲悪的な人情悲喜劇で、「山本周五郎賞受賞作」ってこういう作品だよなという感想。

 

大森望(編)『ベストSF2020』 

べストSF2020 (竹書房文庫)

べストSF2020 (竹書房文庫)

  • 発売日: 2020/07/30
  • メディア: 文庫
 

 印象に残ったのは空木春宵「地獄を縫い取る」、陸秋槎「色のない緑」、飛浩隆「しづ子」の3つ。

 収録作を見渡すと、SFというジャンルの枠内でそれぞれのマニアックさを見せつけるような作品が多い印象。私はSFはそこそこ読むけれどもマニアと言えるほどには読めていないので、そのマニアックさにはついていけなかった。だから上の3作のような、SFではあるけどジャンルの外に開かれている作品のほうが楽しめたし、作品としての完成度も高く見える。

 

ロス・マクドナルド『さむけ』 

さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)

さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)

 

  私立探偵リュウ・アーチャーが主人公のミステリ。

 事件の手がかりを求めてアーチャーは聞き込みをしまくる。いわゆる「足で稼ぐ」タイプの探偵。でも真相にはなかなか届かなくて、たらい回しに次ぐたらい回し。それが400ページ続く。決して退屈ではない。セリフは面白いし、描写も凝っている。

 「結末の意外性」が読みどころとされるが、以前に読んだ小説でほぼ同じような仕掛けがあったせいで、なんとなく想像はついた。むしろその「以前に読んだ小説」のラストのほうが印象に残っている。

 

・リチャード・ニーリィ『殺人症候群』

  久々にニーリィを思い出し、読んでない作品を読んでみようということで選んだのがこれ。

 本の帯に「ハズレなし!」って書いてあるけど、嘘だった。

 

・東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』 

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

 

  自閉症はいまは「自閉スペクトラム症」と呼ばれる。「スペクトラム」という言葉の通り、自閉症といっても症状はさまざまである。

 オリヴァー・サックス『火星の人類学者』に出てくる自閉症者テンプル・グランディンは、社会生活は送れているが、言語でのコミュニケーションを苦手としていて、とくに他人に共感することに大きな困難を持っている。「比喩をうまく理解できない」とも言っていた。

  この本の著者はグランディンよりも重度の自閉症者で、自分の体をコントロールすることに大きな困難をもつ。「まるで不良品のロボットを運転しているようなもの」(Kindle版、No. 222)とあるように、自分の体を思い通りに動かせず、とつぜん大声を上げたり、跳びまわったりする。だが本に書かれているものを読む限りでは、他人への共感能力はきわめて高く、小説の創作を行うなど表現力が高い。

 以下は、「すぐに返事をしないのはなぜですか?」からの引用。自分が言おうとしたことが「頭の中から消える」というのは、他の自閉症者の語りの中にも見たことがある。

みんなはすごいスピードで話します。頭で考えて、言葉が口から出るまでが、ほんの一瞬です。それが、僕たちにはとても不思議なのです。(中略)僕たちが話を聞いて話を始めるまで、ものすごく時間がかかります。時間がかかるのは、相手の言っていることが分からないからではありません。相手が話をしてくれて、自分が答えようとする時に、自分の言いたいことが頭の中から消えてしまうのです。(中略)僕たちは、まるで言葉の洪水に溺れるように、ただおろおろするばかりなのです。(Kindle版、No. 195〜)

 

オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』 

 以下に感想を書いた。

 

新井英樹『ザ・ワールド・イズ・ユアーズ』

ザ・ワールド・イズ・ユアーズ (出版芸術ライブラリー)

ザ・ワールド・イズ・ユアーズ (出版芸術ライブラリー)

  • 作者:新井 英樹
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  新井英樹の漫画はすべて読んでいるので、作品の背景を知れて面白い。

 新井漫画の一番の魅力は「セリフ」だと思っているけど、作者は自意識の肥大についてとことん突き詰めて考えるような人で、だからこそああいう鋭利なセリフが描けるんだなと。50歳になってからの逆ひきこもり活動も意外。

 

橘玲『幸福の資本論』 

  読み物として面白く、参考になる。

 いちばん納得度が高かったのは以下の箇所。世の中に一定数いる「困ったひと」(モンスターペアレントモンスターペイシェントになるような人)との接触が、人間の幸福度を大きく下げるという指摘。

 幸福感を毀損するいちばんの要因は、こうしたひとたちと関係を待たざるを得なくなることです。それが顧客であればまだ対処のしようもあるでしょうが、上司であれば悲劇ですし、同僚や部下であっても攻撃的コミュニケーションしかできない人物は職場という(逃げ場のない)閉鎖空間では強いストレスの原因になります。(Kindle版、No. 2637)

 攻撃的な手段でしかコミュニケーションできない人はたしかにいる。そういう人が不幸の元凶として、周りの人間の幸福を収穫し続けるさまはときどき目にする。

 その攻撃性が閉じたコミュニティ内で発揮されると、暴力や死を招く。北九州監禁殺人事件や尼崎連続変死事件の犯人も、「攻撃的コミュニケーションしかできない人」という人物像に当てはまっている。

  

手塚治虫きりひと讃歌

きりひと讃歌 1

きりひと讃歌 1

 

 読むのは3回目くらい。手塚作品の中ではお気に入りの一作。

 占部のキャラが定まっていなかったり、中盤は手塚漫画でよく見るドタバタ劇が繰り広げられたりと、粗いなーと感じる部分も割とある。でもルッキズムを扱うテーマは現代的だし、随所に実験的な漫画表現があって楽しい。自然風景の描写にも妥協がないので、パラパラめくって風景を見るためだけに手元に置いておきたくなる。

『妻を帽子とまちがえた男』 「普通」と「普通ではない」の雑な切り分け方

 間違いなく興味深い本。同じ著者の『火星の人類学者』も名著。

 ただ、注意が必要だと思うのは、著者の考え方。オリヴァー・サックスは「普通」の人間の定義を雑に持っていて、そこから外れた人間を「普通ではない」ものとして扱い、哀れんだり「深みがない」と言ったりする。

 例えば以下の箇所。

この哀れな男は誰であり、何であり、どこへ行くのか、と思いめぐらすのだった。また、このように記憶をもたず、連続性を失った存在ははたして「存在」といえるかどうか、いぶかりもしたのだった。(Kindle版、No.746)

だがそもそも、この記憶のない人間に、深みなどというものが――感情においても思考においても――ありうるのだろうか? 彼は、関連性のない印象や事柄をただ機械的にならべるだけの存在、ヒュームのいうたわいない存在に堕してしまったのではないだろうか?(No.889)

スーパー・トゥレット症患者は、真の人間、あくまでも「個」たる存在として生きるために、たえず衝動と戦わざるをえない。ごく幼いころから彼は、真の人間となるのをはばもうとする、おそるべき障壁に直面することになろう。(No.2739)

  「深み」とか「真の人間」のような、人間を形容するときの言葉が粗雑で、こういう雑な切り分け方で「普通ではない」存在へと区分けされて、その生が悲劇であるかのように描かれているのには違和感があり、野蛮を感じる。

 実はこういう著者の考え方は『火星の人類学者』の「訳者あとがき」でも指摘されていた。アメリカの書評からの引用で、「科学という口実によって正当化された医学的のぞき趣味に傾く危険」(p. 374)とある。患者を「普通ではない」存在として異化し、差異を強調するのはたしかにのぞき趣味に近い。

  例えば自閉症は、今は「スペクトラム」として、ゼロかイチかではなく程度の問題として考えられている。これと同様に、『妻を帽子とまちがえた男』の患者の状態も、「普通」の人間の延長線上に考えるべきだし、そのほうが実態に迫れるはずである。

 この本は今から35年前の1985年に出版された本であり、当時はまだ患者を「異質」な存在と捉える見方が強かったのかもしれない。その10年後の1995年に刊行された同著者の『火星の人類学者』は、こうした「のぞき趣味」的な記述はぐっと減り、はるかに読みやすくなっていることを最後に付け足しておく。

 

今月読んだ本 2020年9月

 

 

・福田ますみ『でっちあげ』『モンスターマザー』

 9/8のブログに感想を記載。

 

・「新潮45」編集部『殺人者はそこにいる』   

  タイトルがダサいが、こういう殺人事件のルポは好きなので読む。

 週刊誌に載った記事なので、内容の信憑性は疑いながら読む必要がある。さらに、「修羅たちは静かに頭をもたげ出す」「暗き欲望の果てを亡者が彷徨う」みたいなセンスの欠片もない章タイトルが読む気をゴリゴリに削いでいく。誰だこんなタイトルをつけたのは。

  ただ、葛飾区の無理心中事件の「自殺実況テープ」のルポは、これだけでこの本を買ってよかったと思わせるくらいの内容。死ぬ間際のテープの内容が壮絶で、今から死ぬ人間の言葉にしか出せない真に迫る感じがある。いちど自殺に失敗して、自分が撒き散らした糞尿でつるつると滑る床の上を這いずり回りながら、なんとか我を取り戻そうとしているさまをテープに向けて語る言葉の、虚無感がすごい。

 

・「新潮45」編集部『殺ったのはおまえだ』    

  「新潮45」の事件ルポシリーズの第2弾。

 あとから知ったのだが、この本はいちど販売差し止めになっている。正確に言うと、この本に収録されている「恵庭OL殺人事件」のルポ中の記述が名誉毀損だとして民事訴訟となり、地裁の判決で本の「販売差し止め」が命じられている(2007年1月)。それに対し新潮社側は控訴し、高裁では「名誉毀損は認める」が「販売差し止めは認めない」という判決が下った(2007年10月)。だから本屋でも買えた。

 新潮文庫の本はだいたいKindle版が出ているが、このルポのシリーズはまだKindle版が出ていない。なぜだろうと思っていたので、その原因が分かった気がする。

 内容は、第1弾に比べるとやや弱い。弱いというか、ノンフィクションとして書き方が誠実ではなくて、筆者の勝手な推測や内面描写が多い。裁判を起こされるのも納得の歪んだ視点。

 それでも印象に残ったのは、「附属池田小事件」の宅間守の父親の以下のセリフ。宅間守は強姦事件で捕って以後は、「精神病」を盾に逮捕を逃れてきた。父親は宅間守の危険性に気づいて以前から公的機関に訴えてきたが効果がなく、それを以下のように嘆いている。

その後はどんなにワシが奔走しても警察の理解者が尽力してくれても司法と精神医療の現場では高い壁が立ち塞がっておるのよ。“人権”っちゅう奴っちゃ。じゃがワシはあえて言う。“鬼畜”に人権いりまへん。いらん奴にいらんもんくれて、ややこしゅうしとんのが、ええ大学出のおっさんたちや。問題や事件が起こればそりゃ当然犠牲者が生まれるやろ。そちらの悲劇ばかりやが、ワシら“キチガイ”の家族はどうなんねん。そのずっと前から危なっかしいキチガイの一番近くでビクビクしながら暮らしとんよ。そこんとこもう少し考えて下さらんと、ワシらキチガイに“人権”蹂躙されとんや。(p. 44)

  

・「新潮45」編集部『その時 殺しの手が動く』   

  記憶に残るのは、稚内「冷凍庫」夫絞殺事件。妻が夫を殺して冷凍庫に入れ、4年半生活していた。その間、父親が誰か分からない子どもを自宅で出産し、生後2ヶ月で窒息死させ、ゴミ捨て場に捨てている。

 夫の殺害が発覚したのは、妻が引っ越しをするときに、冷凍庫を処分するのを忘れたから。不動産業者が部屋に残されていた冷凍庫の中身を見て警察に連絡し、事件が明るみになった。

 

野坂昭如『東京十二契』 

東京十二契 (文春文庫)

東京十二契 (文春文庫)

 

 十二「契」とあるので、12人の女性との恋愛話なのかと思ったが、そういうわけでもない。東京の12の場所についての思い出を語るという内容。

 暴風雨のような人生を送っている人で、文字通りアウトローなことも結構やっている。戦後、殺虫剤のDDTが一般家庭で使われるようになったが、そのときに石灰で薄めに薄めたDDTを売って大儲けしたという。

 CMソングの作詞で稼げるようになっても、稼ぐ以上に浪費するという破滅型の人間だからエピソードには事欠かない。恋愛系の話もあるけど、バッドエンドが多い。プレイボーイという印象だったが実はそうでないのか。あるいは著者があえてそういうエピソードを選んで語っているのか。

 『エロ事師たち』に書かれていたブルーフィルムの話は著者の実体験に基づくものらしい。野坂昭如はCMソングの作詞やテレビの音楽番組の作家をしていたが、スポンサーやディレクターを接待するときにブルーフィルムを活用していたという。

 

スコット・トゥロー推定無罪』 

推定無罪(上) (文春文庫)

推定無罪(上) (文春文庫)

 

 最高の法廷ミステリ。著者は元検事なので法廷での駆け引きの描写が素晴らしい。

 それ以上に素晴らしいと思ったのは、やけに内省的で、疲れ切った世捨て人のような目線で登場人物を掘り下げていく語り。例えば以下のような、サビッチが結婚生活で妻とうまくいなかくなるプロセスを書く文章は美しい。

彼女の献身的な愛情を一身に受ける瞬間は、わたしのささくれだった自我にとって快い鎮痛剤のようなものだ。だが、妻を嫌悪する瞬間がないといえば、噓になる。父親の怒りに痛めつけられて育ったわたしは、妻の黒いムードに対する自分の傷つきやすさを完全に克服することができないのだ。痛烈な皮肉で人の心をずたずたに引き裂く彼女の発作が起こると、絞め殺してやりたい衝動で手がむずむずするのを感じる。そういう時期の対策として、無関心を装う術を身につけたのだが、それが次第にたんなる装いからほんとうの無関心になりはじめた。こうしてわれわれはうんざりするようなサイクルをくりかえしていた。それは、双方とも永久に引き下がりつづけることによって位置を保とうとする綱引きレースだった。
Kindle版、No.3825〜)

 海外の小説にはたまに、どうしてそんなに冷徹に人間を書けるのだろうと思わせるものがある。この小説でいうとキャサリンやトビー・モルトの描き方がそう。その人の存在そのものを矮小化するような書き方で、読んでいて背筋が寒くなる。

 

志賀直哉清兵衛と瓢箪・網走まで』 

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

 

 志賀直哉がいま読まれない理由がわかる。自信満々で影が見えないのだ。

 「〜は好き」「〜は嫌い」をはっきり書けるのは、自分への自信がみなぎっているから。だから共感を集めない。自信満々な人間が書く日常生活の機微なんて誰も読みたくない。

 自分が学生の頃にはよく志賀直哉を読んでいた。芥川龍之介谷崎潤一郎が絶賛してるし、「小説の神様」とも言われているしで、ありがたい作品だと奉って読んでいた。でも今フラットな眼で作品を眺めると、意外とたいしたことがないというか、以前は無理やりその良さを探すように読んでいたのだと気づく。

 松本清張も『昭和史発掘』の「芥川龍之介の死」に書いていたが、結局いまでも読まれているのは芥川龍之介であって、志賀直哉ではない。当時の文壇で評価されたのは志賀直哉で、芥川龍之介は「今昔物語集のリメイクしてるだけなのになんで評価されてるの?」という声もあったようだけど、でも今でも多くの人の心を掴んでいるのは芥川龍之介である。かたや志賀直哉は日本文学の「古典」の中に名を連ねる一人として記憶されているにすぎない。自信が持てず影に怯えて生きるような人間が書く小説に、人は常に惹きつけられるということなんだろう。

 

・陳浩基『13・67』上 

13・67 上 (文春文庫)

13・67 上 (文春文庫)

 

  いろんなランキングで1位だったらしい海外ミステリ。書店で気になったので買ったが大ハズレ。

 なにがダメかは以下の引用を見れば分かる。

「まさか! こんなはずでは……。末期の肝臓がん患者に検案を行うなどありえない。ハッ!」王冠棠は大声で叫んだ。「おのれ! 仕組んだな! 罠にハメた、そうだな!」

 「ハッ!」

 

・岡田索雲『マザリアン』1-3

マザリアン : 1 (アクションコミックス)

マザリアン : 1 (アクションコミックス)

 

 『鬼死ね』『メイコの遊び場』に引き続き岡田索雲さんの漫画。時系列で並べると『鬼死ね』→『マザリアン』→『メイコの遊び場』という順らしい。

 よく分からない漫画だけど、私はギャグ漫画として読んだ。まず熊みたいな猫男がふつうに人と話している絵が面白い。あと、第1巻で野々宮が「フリマ」という言葉を聞いて「フリマ→フリーマーケット→flea market→flea→のみ」と連想して「自分はノミと混ざったんだ」と気づく場面も、連想力がおかしすぎて笑う。

 そもそも絵が面白い。見ただけで笑えてくるタイプの絵。伊藤潤二の漫画もそうだけど、絵そのものがコミカルな雰囲気を持っている。

 

・佐々木昇平『ガキジャン』1-2 

  『革命戦士 犬童貞男』の人の漫画。ギャグ漫画だけどかなりブラックなのがいい。

 第4話の自転車の乗り方を教える回と、第10話の野球のボールをお爺さんに当てちゃう回は特に面白い。

 

・佐々木昇平『サーマン』1-2 

  鮭の卵に人間の精子がかかって生まれたモンスター「サーマン」。同じ作者の『犬童貞男』もそうだけど、可愛げもかっこよさも皆無のクリーチャーが出てくる。

 

岩明均『七夕の国』1-4 

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

 

  再読。10年以上前に読んだことがあるけど内容をほとんど覚えていなかった。

 「謎」がたくさんある漫画。その一部は後半で解明されるけど、多くは分からぬまま。例えば、「能力を使うとなぜ体が変異していくのか?」「能力を使える人が数人しかいないのはなぜ?」「宇宙人は何が目的で人間に接触したのか?」など。

 そういう「分からない」を分からないままで放置していくのがおそらく作者の狙い。宇宙人が考えていることなんて分かりようがないから、人間は少ない手がかりでなんとなく推測するしかない。当然、その推測の中には人間の勝手な願望や希望が含まれている。頼之の最後の選択の理由も、「そうであってほしい」という願望が多分に含まれたものだった。

 

・魚豊『ひゃくえむ』1

 熱さと冷たさが同居している不思議な漫画。主人公はすごく冷めていて、もうひとりの主人公は逆に熱すぎる。その対比に妥協がないので読んでいて気持ちいい。セリフも印象的なものが多い。

 でも気になるのは、セリフの切れ味が良すぎて、人物と不釣り合いに見えてしまうこと。人物がセリフについていけてない。例えば「その手の人間は仮に一瞬栄光を掴んだとしても止まれない」みたいなセリフ、かっこいいんだけど、これを高校生が中学生相手に言うのか?とつい思ってしまう瞬間がけっこうある。いわゆる「人物とセリフが噛み合っていない」という問題。その点では上の『七夕の国』とは対照的。

 

・うめざわしゅん『ピンキーは二度ベルを鳴らす』

ピンキーは二度ベルを鳴らす

ピンキーは二度ベルを鳴らす

 

  すごくキザなことを言うけど体が極小の「ピンキー」というヤクザの話。この人の漫画は作りが細かくて、かなりの下調べの上で書いてるんだろうなと思う。JKリフレとか偽札の作り方とか。

『Witcher3』レビュー 「オープンワールドRPG」と「ストーリー重視」の両立

 今更だがWitcher3をレビュー。

 

【プレイデータ】

・買った場所: Steam

・価格: 1980円(Game of the Year Edition、70%OFF)

・プレイ時間: 94時間

 

【好きなところ】

・没入度の高いストーリー

・妥協のないサブクエス

・美しい風景

 

【嫌いなところ】

・メインクエストはやや中だるみ

・操作性の悪さ

 

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 『Skyrim』をプレイして「面白いけど、なんか違う」という思いを抱きつつ、次にプレイしたのが『Witcher3』。そしたら心を撃ち抜かれた。これこそ自分が求めていたRPG。これこそ自分が求めていたオープンワールドと思った。

 『Skyrim』の不満点は「ストーリーの作り込みの浅さ」と「質の低いクエスト群」。『Witcher3』はその不満への完璧な解答といえるゲーム。メインの物語の質が高いのはもちろん、サブクエスト群の作り込みも素晴らしい。

 雰囲気はジョージ・R・R・マーティン氷と炎の歌』に似たダークファンタジーで、苦味のあるストーリーとクセのある登場人物、凝ったセリフ回しが特徴。

 

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 このゲームは「オープンワールド」と「ストーリー重視」という、両立しづらい要素を両立させている。

 オープンワールドRPGは通常、主人公のキャラクターはなるべく希薄にして、プレイヤーの想像の余地を残すのが定跡である。なぜなら、オープンワールドは「プレイヤーが自由に冒険できること」がウリであり、かつRPGとは「特定のロールをプレイするゲーム」だからである。プレイヤーは自分が操作するキャラクターの設定を自分の脳内で作り込み、そのキャラになりきりながら気ままに世界を冒険する。メインのクエストがあったとしても、それに縛られる必要はない。「世界を救う勇者」にもなれるし、「街のコソ泥」にもなれるのがオープンワールドRPGの醍醐味である。

 それゆに、オープンワールドRPGでは、メインのストーリーの作り込みは浅いことが多い。それは第一に、オープンワールドでストーリーを作るのは主にプレイヤー(の脳内補完)であり、ゲームが提供するストーリーは補足的なものでよいこと、そして第二に、プレイヤーが操作するキャラクターはプレイヤーの脳内補完の余地を広く残すために個性が削ぎ落とされており、したがってストーリーに関わらせにくいからである。

 例えば『Skyrim』でいうと、キャラクターの性別や種族や見た目は、ゲーム開始時にプレイヤー自身が設定する。つまり、主人公の個性を作り出すのはゲームの製作者ではなくプレイヤーである。だから、ゲームの製作者から見れば主人公は「無個性」な存在で基本的なプロフィールがないから、ストーリーには絡ませづらい。

 そこで『Skyrim』では苦肉の策として、主人公は「ドラゴンボーン」であるという設定を設け、メインのストーリーになんとか組み込んでいるが、それも上手くいっているとは言い難い。なぜなら、主人公をストーリーにつなぎとめるのは「ドラゴンボーンだから」という一点のみだから。ドラゴンボーンに生まれたからという理由だけで英雄となって世界を救わなければいけないのは義務感が強いし、当然あっていいはずの「なぜ自分はドラゴンボーンなのか」という自問自答などはキャラクターの「無個性」を守るために存在しない。だから、プレイヤーは「ドラゴンボーンだから」という理由に説得力を感じられなければすぐにストーリーからは離れてしまう。それくらいにキャラクターとストーリーをつなぎとめる線は細い。

 こうしたオープンワールド性を究極に体現しているのが『マインクラフト』で、あれはキャラクターの個性もストーリーもほぼ皆無で、すべてがプレイヤーに委ねられている。プレイヤーがキャラクターの個性を作り、世界を作り、物語を作るゲームである。

 この、主人公の無個性さがストーリー作りの障壁となる問題を解消するために、同じくBethesdaの『Fallout4』では例外的に、冒頭で主人公にある程度の個性(結婚しており、子どもがいる)が付与され、「復讐」という明確な目的が提示されてプレイヤーがストーリーに入りやすくしている。でも逆に、そうした設定は「ロールプレイのしづらさ」になるので欠点ともなりうるし、実際にこのページでは賛否両論の一点として挙げられている。

 では『Witcher3』はどうか。 

 主人公のGeraltのキャラクターは出来上がりすぎている。プレイヤーがキャラクターの設定に介入できるポイントはほぼない(どういう服装をするかと、髪型・ひげの剃り具合くらいは決められる)。プレイヤーが脳内で作ったロールをプレイする余地はほぼない。

  では、RPGとして没入感がないかといえば、そんなことはない。むしろ、通常のオープンワールドRPG以上に、Geraltというキャラクターに感情移入し、Geraltというロールに入り込めるゲームになっている。

  その要因の一つは、「Ciriを取り戻す」という目的が、チュートリアルを兼ねたオープニングで明確に設定されていること。Ciriを取り戻すという目的のもとで、Ciriの足跡をたどっているうちに、自然とGeraltに感情移入ができるようちゃんと設計されている。この目的設定はゲーム全体で徹底されていて、例えばロード画面で今のGeraltの状況をしつこいくらいに説明されるのもそのためである。Geraltというロールをプレイするための導線がオープニングから設けられている。

 さらに、オープンワールドにGeraltの職業が噛み合っている。Witcherは魔物退治を専門とする傭兵である。だから、Geraltがメインクエストをそっちのけにして魔物退治に寄り道しても、何も不思議ではない。それがGeraltの本業であり、それで路銀を稼ぐ必要があるから。むしろ、Witcherというロールをプレイするうえで、魔物退治の寄り道は必然である。

 『Skyrim』では、なんで街の人々が初対面の自分に対して子どものお使いのような依頼をひっきりなしにしてくるんだろうという違和感がずっとあり、ひょっとすると主人公は初対面の相手でもすぐに信頼してもらえる稀代のコミュニケーションスキルの持ち主なのかなと無理やりな脳内補完をする必要があったが、Witcherに関してはそうした違和感はほとんどない。オープンワールドで無数のクエストをこなすというゲーム性とキャラクターの目的が合致している。

 Geraltのようなしっかりとした個性のある主人公でも、作り方次第では十分に没入感を高めることができるし、オープンワールドRPGのメリットを損なうことなく順応できている。逆に、むしろキャラクターが出来上がっているからこそ、セリフやグラフィックを作り込むことができ、読者がGeraltになりきるようなプレイ感覚を提供できている。

 結局のところ問題は、「プレイするロールを誰が与えるのか」である。オープンワールドRPGの多くが「プレイヤー」にその役割を担わせたのに対して、『Witcher3』は「ゲーム制作者」がその役割を担うことを選択した。そのぶんゲーム制作者の負担は大きくなるし、プレイヤーへの配慮も随所で必要となるが、その結果『Witcher3』は独自のオープンワールドRPGの世界を生み出せている。

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 『Witcher3』のメインのストーリーはかなり長く、うんざりするほどに紆余曲折がある。だがそのなかでも特に秀逸なのは、VelenのBaron一家をめぐる物語である。

 ことの発端は「行方不明の娘を探してほしい」という依頼で、単なるお使いクエストなのかなと思いきや、一家の抱える問題は実に根深くて、気づくと主人公もその泥沼にはまり込んでしまっている。ときにプレイヤーは難しい二択を迫られて、どちらを選んでも待ち受けている現実は苦い。このBaronのクエストだけでも、『Witcher3』が優れたRPGであることは十分に分かる。

 

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 『Witcher3』の長所はストーリーだけではない。とにかく景色が美しい。

 特に、馬で道を走りながら風景を眺めるのが格別の味わい。このゲームはファストトラベルに制限があるので、「馬に乗る」機会がたくさんあるのだが、徒歩のスピードの遅さとの対比で乗馬の爽快感が際立っている。そして景色、とくに光の描写が美しいので、移動しているだけで楽しいし、世界に浸れる。

 

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 不満点は、メインクエストが中盤で「お使いの連鎖」となり中だるみすること。ウィッチャーは「怪物退治の専門家」なので、依頼を受けてお使いをこなすのは仕事の一環であり不思議はないのだが、ノヴィグラドでお使いが10連鎖くらいして、プレイ時間にして5時間くらい街を駆け回ることになったのにはさすがにウンザリした。たらい回しに次ぐたらい回しで、いったい自分は何のために何をしているのかが分からなり虚無感に襲われる。

 また、操作性の悪さも目につく。壁を登る動作をするには壁に密着する必要があったり、水辺から陸に上がるときに異様にモタついたり、商人相手に商品の売り買いをするときにいちいち会話が入ったりなど、小さなイライラの種が結構ある。

 落下ダメージが大きすぎるのも地味にイラつく。3階建てくらいの高さから落ちて即死するのはどうかと思う。そんな虚弱体質で熊とか倒せないだろと冷める。

 

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 ゲーム全体の出来は素晴らしいとしか言う他ない。

 キャラの無個性化・ストーリーの希薄化が進んでいたオープンワールドRPGというジャンルに、ガチガチのキャラ設定・重厚なストーリーという、あえての先祖返り的な方向で突っ走った勇気。製作者の優れたバランス感覚が生み出した、まさしくオープンワールドRPGの金字塔。